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Mattel Auto Race (マテル オートレース)・マテル

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 これは、1976年に米国マテル社より発売されたMattel Auto Race (マテル オートレース)。


 これが、電子回路を使用した世界初の携帯型電子ゲームということのようです。表示部にはLEDを使用しており、スペースアラート(シューティング)、ベースボール、ホッケー、フットボール、サッカー、バスケットなど、沢山の種類が発売されていました。日本国内では、バンダイより発売されていた他、ゲームシンジケートシリーズとしてマテル社自体からも販売されていました。当時の価格は4,800円。また、最近になってクラシックシリーズとして、いくつかのスポーツゲームが復刻されていたようです。


 日本では、77〜78年ごろにLEDを使ったサブマリン、コンバット、ゴルフコンペが登場しており、その後のミサイルベーダー(ミサイルインベーダー)、チャンピオンレーサーがヒットしていました。基本的に、このゲーム機はそれらとよく似ており、バンダイのものはこれを参考に作られたのだと思われます。


 今ではあまり見かけない9ボルトの乾電池使用。バンダイのLEDもこれを使用していました。


 現在では、携帯型ゲーム機といえば液晶ですが、最初はLEDのランプの点滅によりゲーム画面を表示していました。有名なところでは、サイモン(Simon/日本では米澤玩具が78年に発売)、78年のMerlin(Parker Brothers/日本では、Dr.SMITHとして80年にトミーより発売)、タカトクトイスのゲームロボット九(82年頃)など。


 ゲーム画面はこのような感じ。LEDの線で車が表現され、自車は他のものより明るい輝点で表現されています。バンダイのLEDゲーム、チャンピオンレーサーと非常によく似た感じ。違いは、自車はギアの切り替えでスクリーン上部へと進んで行き、再び下部より出てきます。制限時間の99秒内に4周した時点でゲームは終了。そのタイムを競います。


 スクリーン下部についている自動車のマークの入ったハンドルで敵車を避けます。ギアは4段階あり、敵車の速度が速くなります。


 バンダイのチャンピオンレーサーでは、LEDの上に車型のセロファンが被せてあり、自動車レースっぽくなっていました。LEDの点(線)でしかないこれだと、想像力が必要となります。サウンドは、ジジジ・・・(一応エンジン音?)といった感じのもの。


 点数は無く、制限時間を知らせるタイマー。


 外見から想像するよりかなり本体はコンパクト。ゲームウォッチより一回り大きい程度しかありません。この頃のエレメカ、LEDゲームはどれも大きかったので、ちょっと意外な感じ。


 LEDの次に一般的となった、ゲーム表示画面に蛍光表示管を使用したFLゲームと比べてもこの程度。高価な玩具だったと思いますが、あまり高級感はない。ちなみにMade in Korea。この頃だと、日本メーカーのものはまだMade in japanが多かった。他には、Made in Hongkongなど。


 LED、蛍光表示管(VFD)と来て、80年のゲーム&ウォッチのヒットによりゲーム画面表示に液晶(LCD)が使われ始めます。こちらは、液晶ゲームの中でも比較的初期のトミースリムボーイ・レーシング5。


 これは、一つのゲーム機で縦スクロール型、周回コース型、ヘッドオン、カーチェイスなど5種のレースゲームが遊べるという優れもの。


 こちらは、80〜81年頃の学研のインディチャンピオン。薄くてコンパクトな本体が多かった液晶ゲームを、FLゲームのような大型の筐体に入れてしまった変り種。筐体がフォーミュラーカーを模したようなデザイン。


 この辺りまでくると、かなり一般的なレースゲームに近づいてきました。


 こちらは、電子ゲームブームも去り、FC全盛期であった85年に発売されたバンダイのW-RACING(ダブルレーシング)。


 ここまでくると、擬似3D表示の分割画面で2対戦が出来ようになっています。


 こちらは、レースゲームではありませんが、最後の蛍光表示管ゲームとなった85年発売のバンダイのスペースハリケーン。蛍光表示管をゲーム画面に使用したゲーム機は、これを最後に終焉を迎えました。


 ゲームスクリーンの内部にハーフミラーやジオラマ(情景模型)を備え、大きな操作レバーを装備するなど、蛍光表示管ゲームの最後を飾るのにふさわしい大艦巨砲主義。電子ゲームはここまで大きく豪華に発展しました。


 蛍光表示管の電子ゲームは、85年を最後に終焉を迎えましたが、液晶ゲームの方はゲーム&ウォッチからゲームボーイ、ゲームボーイカラー、ゲームボーイアドバンスと来て、NDS、PSPと現在まで発展を続けています。また、たまごっちやキーチェンのテトリスなど、安価なミニゲームとしても使われ続けています。


 自動車レースゲームの方に目を向ければ、FCの時代となりジッピーレース(83)、任天堂のF1レース(84)など、見下ろし型、擬似3D型など、様々なタイプが作られていきます。アーケードの方では、シミュレーション色の強いナムコのポールポジション(82)なども登場していました。


 86年には巨大なポリゴンを高速で表示し擬似3Dを表現したセガのアウトランが登場し、91年にはそのポリゴンによる擬似3Dを極限にまで推し進めたラッドモビール(SS版はゲイルレーサー)が登場。アーケードの方では、88年にポリゴンを使用した初のレースゲームであるウイニングラン(ナムコ)も登場しました。


 これらのゲームは、乗り込める大型の筐体を備えており、体感ゲームとも呼ばれていました。


 89年には、ポリゴンを使用したドライブシミュレーターといえるアタリのハードドライビンが登場。レースだけではなく、自動車の運転をリアルに再現するという方向性も生まれました。


 90年には、Atari Lynx、メガドライブ用として家庭にも登場。この頃から、家庭用とアーケードゲームの差が縮まっていきました。


 92年のセガのバーチャルレーシングを経由して、94年のデイトナUSA、95年のセガラリーチャンピオンシップでは、テクスチャーをポリゴンに貼ってよりリアルな3D表現が可能となりました。93年のナムコのリッジレーサーでは、車の挙動の楽しさを優先してリアルさではなくゲーム性を追及した方向性も生まれます。


 これらの流れが、実在する自動車メーカーの車を使った97年のグランツーリスモシリーズへと結実し、現在へと続いています。


 ということで、駆け足で見てきましたが、電子ゲームの始祖であり、家庭用レースゲームの源流ともいえるマテル社のマテル オートレース Mattel Auto Raceでした。

参考:Wiki Mattel Auto Race マテル オートレース、レースゲームカテゴリー、サイモン、Merlinの項、Nostalgia マテルの項、Handheld Antique、電子ゲームの世界

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