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ホンダ純正 ドリーム50 スピードメーター

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 特に忙しいというほどではないのですが、他の事に気を取られていたりで、最近はドリーム50も放置気味。ということで、久々のバイク関連ネタ。


 以前、車に比べてバイクの純正部品は意外に高価になるという話をしましたが、オクにてドリーム50のマフラーに何度か挑戦しましたが、すべて競り負け。部品が製造中止や販売中止になると、急にプレ値が付いて入手し難くなります。特にドリーム50の場合だと、たった8,000台程しか作られなかったため、中古部品の出物の少なさに拍車がかかります。まだ出てくる純正部品の価格もどんどん上がります。


 今回入手したものは、ホンダ純正品のスピードメーター。中古品で5,500円ほど。新品だと1万円ほどします。送料をおまけしてもらいましたので、その分が1,000円と思えば、まあ良い買い物だったでしょうか。


 スピードメーターは、原付のため60キロまでしか刻まれておらず、リミッターカットやボアアップした際に変えられてしまうことも多い部品なので、そう入手しにくいものでもありません。タコも予備が欲しいのですが。、新品で15,000円程するタコメーターだと競争が激しくなり、この位の金額ではまず入手できません。


 そうはいっても、ドリーム50が現役だった2000年前後ならまだ改造のため外されたパーツも入手しやすかったでしょうが、すでに15年が経過したバイクのため、この程度に綺麗なものが入手できる機会はそう多くは無い。


 ガラスにも傷や曇りなどは見られません。


 デザイン的にそう優れたものでもありませんが、原付なので60キロまでしか刻まれていないとこがかわいい。


 塗装の剥げや錆等もあまり見られず。今付けている物も、問題なく使えますが曇りなどがあるため予備パーツが欲しかった。


 ということで、これは使わずストックパーツとして保管します。


 こちらは、ボブスターのバイカーズサングラス。中古で500円ほど。


 バイカーズサングラスもゴーグルと同じくピンきりで、1,000円ほどのものもあればブランド品もあるといった状況。一般のものとの一番大きな違いは、ポリカーボネイトやトリアセテートという材質で割れにくくなっている点と、風の巻き込みを伏せぐデザインになっている点でしょうか。


 未使用品のスモークとアンバーの交換用レンズ2枚付き。


 BOBSTER(ボブスター)は、1994年創業の米国の会社で、スキーやスノボなどのウィンタースポーツ、スカイダイビング、ウォータースポーツ、ハンティング等に使われるアイウェアを製造しているブランド。特徴としては、機能面もそこそこで、しかも安価ということ。バイク用のゴーグルも一番廉価なバグズアイというモデルだと、1,300円〜1,500円ほどから出ています。ホムセンやドンキ等でノーブランドのゴーグルをかっても2,000円前後はしますので、それを考えると良いブランドだと思います。


 ボブスターの製品にはケース付属のものが多い。バイク用の製品のため、ベルトなどに付けられるようになっている。


 ボブスターの製品には、ポリカーボネートレンズを使用し、柔軟性を持ったGrilamid TR90という素材を使っているとのこと。


 ただし、かなりプラスチッキーで、お世辞にも質感が高いとは言いがたい。


 これは、中古なので現在では売られていない製品のようです。2,000円〜3,000円程度のものでしょうか。バイク用なので、軽さや機能性を重視して、ある程度消耗品として割り切って使用するのが正しいのかも。


 バイカーズサングラスには、街中で使用しても違和感の無いものも多いが、これはちょっと無理。どちらかというとゴーグル寄り。


 基本的に500円で買っているので、それでも十分満足。ゴーグルやバイカーズサングラスも、ファッション的要素や集める楽しみがあっていい。ハルシオンとかスタジアムなどのブランド品も欲しいが、これらは新品で10,000円〜、中古でも5,000円ほどするので、なかなか難しい。


 ということで、ホンダ純正品のスピードメーターとBOBSTER(ボブスター)のバイカーズサングラスでした。

ギャラガ’88 Galaga'88・ナムコ

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 ギャラガ’88(Galaga'88)は、1987年にナムコより発表されたシューティングゲーム。


 タイトルどおり81年に発表されたギャラガ(GALAGA)の続編であり、79年のギャラクシアン(Galaxian)、84年のギャプラス(GAPLUS)に続くナムコ固定画面シューティングゲームの第4弾になります。ただし、大幅なパワーアップは施されているもののギャラガ(GALAGA)のリニューアル版といった趣で、BGMや基本的な構成などはギャラガのものを使っています。


 敵が画面外より来襲し編隊を作り、その後落下して攻撃をしてくるゲームの基本はギャラガをそのまま踏襲。変更になった点として、ギャラガの売りであった敵に捕らわれた自機を救うことで合体を果たすデュアル・ファイターは、2機合体からトリプル・ファイター(3機合体)へとパワーアップ。ステージとステージの合間にスクロール面が挟まれたり、撃つと花火のように弾ける(ドン)や、忍者(ニン)、膨らむ(パン)、飛行途中に破壊できない(カン)などの新しい敵キャラの登場、最終面にはボス的な巨大キャラ(クイーンギャラガ・キングギャラガ)が登場するなどの新しい要素が詰め込まれていました。家庭用へは、X68000、PC-エンジン、ゲームギアなどに移植されていました。


 ただし、ポスト・インベーダーとしてエイリアンが降下して攻撃してくる要素を入れたギャラクシアン、その続編として合体によるパワーアップを入れて、ゲームセンターでの稼動も長いこと人気を保ったギャラガ等と比較すると、当時の注目度としては今ひとつの印象も拭えず・・・


 シリーズ第3弾として4方向への自機移動や、ブラスターヘッドによる多彩なパワーアップを取り入れたギャプラスなどと比べても、あまり変わり栄えしないなという印象も残しました。


 83年登場のゼビウス(XEVIOUS)以降は、スクロールすることが既に当たり前となっていましたし・・・
 

 85年には、ファミコンでも3Dの戦闘を取り入れたスターラスター(STAR LUSTER)が登場していました。


 同じ87年には、ファンタジー世界をシューティングに取り入れたドラゴンスピリット(DRAGON SPIRIT)も稼動しており、人気を博していました。このような中にあって、いかに様々な要素が詰め込まれているとはいえ固定画面のシューティングでは、新しい印象を与えることは難しかったと思います。


 ギャラクシアンから続く、新しい要素を取り入れた方向性としては、あらかじめ作成された3D映像をレーザーディスクで流し、そこに敵や標準を重ねるインタラクティブ性を持つ90年のギャラクシアン³(Galaxian³)や、リアルタイム生成のポリゴンによる3D空間を実現した91年のスターブレード(STARBLADE)まで待たねばなりませんでした。その後、これらの世界観はUGSF(United Galaxy Space Force)として、統合されています。


 当時の印象としては、画像は綺麗だし、音楽もアレンジ施されておりぱっと見は良い感じでした。ただ意外と難しいゲームであり、ギャラガと同じ画面構成とゲーム性を持つ固定画面シューティングを一回50円払うゲームセンターでやりこむ気にはなれませんでした。ちょうど8ビットと16ビットとのハードの端境期にあたっており、FCやSFC、PC-98などのメジャーなハードへと移植されなかったことも、マイナーな印象を与えてしまうのかもしれませんし、ギャラガの81年の時点と比べるとセガの体感ゲームやFCの大ブームなどゲーム市場の間口が広がっており、取り巻く状況があまりにも変わっていたこともあるのでしょう。PC−エンジンなど家庭用として、じっくりやり込むには向いていたゲームだったのかも。


 というわけで、様々な要素を取り入れて賑やかで楽しい作品ではあったのですが、注目度という点からはいまひとつ恵まれなかったギャラガ’88(Galaga'88)でした。



参考:Wiki ギャラガ、ギャラガ’88、バンダイナムコゲームス一覧、UGSFの項

LSIゲーム・インベーダー1000・学研

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 これは、1980年頃に学研(学習研究社)より発売されたLSIゲーム・インベーダー1000。


 学研のLSIゲームとしては初期〜中期にあたるもので、学研が最初に発売したLSIゲーム・インベーダーの改良版になります。この後インベーダー2000という更なるリニューアル版も発売されました。


 LSIゲームは、この頃最新の電子玩具で玩具メーカー各社から発売されていましたが、学研のゲームは専業メーカーのものに比べると学習教材のような趣もあり、どこか垢抜けない(優等生がはしゃいで見せるような)ぎこちない雰囲気もありましたが、この辺りからだんだん板に付いてきました。


 パッケージ裏の遊び方の説明書きもどこか真面目。ズバリ!インベーダーゲームの決定版なんて書いてあります。学研が独自に開発したカスタムLSIとカラー表示管使用とアピールしています。この辺りは、さすが学研といった感じ。


 キャラのデザインは、初代インベーダーから大きく変わっていないと思います。少し垢抜けた感じ。カラー表示になったことが新しい。199点が最高得点であった初代から、最高得点1,000点までに大きく引き上げられてゲーム性が増しています。


 本体デザインもリニューアルされてかっこよくなりました。この後のインベーダー2000では更に垢抜けて、電子ゲーム1、2を争うほどのお洒落な筐体に。


 ミサイル発射台移動レバーは自動でニュートラルに戻ります。初級ロースピード、中級ミドルスピード、上級ハイスピードのレベル切り替えスイッチ付き。黄色と黒のコントラストが綺麗ですな。


 ゲーム画面はこのような感じ。インベーダーは2匹出現。高度によって5〜1点と得点が変わります。ちゃんとUFOも出現して、こちらは10点。最下段はミサイル発射台残機数で3台。得点が700点と超えると、ミサイル50発と発射台1機が追加されます。


 ミサイル発射台が全て破壊されてしまうか、インベーダーに最下段まで侵略されたらゲームオーバー。


 インベーダーの数が少なかったり、トーチカ(バリア)こそ再現されていませんが、この頃のものとしてはなかなかの出来。さくさくと軽快に遊べます。


 1978年のタイトーのスペース・インベーダーのブームを受けて、ぞくぞくと電子ゲームでも発売されました。中でも有名なのが、安価なLEDゲームとして発売したバンダイのミサイルベーダー(ミサイルインベーダー)。写真は、蛍光表示管が出始めの頃で高価だったけれどインベーダーの隊列も再現して再現度の高かったエポック社のデジコムベーダー。


 こちらも隊列を表現して再現度は高かったけれど、なぜか前2機種に比べるとマイナーだった、トミーのスペースアタック。モノクロ版とカラーフイルムを使用したマイナーチェンジ版まであるという力の入れよう。


 TVゲームの老舗エポック社からは、TVゲームでも再現されました。1980年発売のTVベーダー。ブロックの組み合わせみたいな粗い画面でしたが、インベーダーが家庭で遊べるということ自体が驚きだった。


 そのほかのメーカーからも、電子回路を持たない安価なエレメカやLEDの点滅でそれらしくみせたインベーダーもどきが続々と発売されていました。老舗玩具メーカー新生からは、げきめつインベーダーとワープインベーダーの2台が発売。


 インベーダブームを受けて(初の?)ゲーム漫画ゲームセンターあらしも登場。ゲームセンターには行けない子供に、まだ大人のものだったゲームの世界を垣間見せてくれました。


 この頃のインベーダー狂想曲と電子ゲームの熱狂の様子は、ゾルゲ市蔵氏の8ビット年代記でも詳しく再現されています。


 当時の思い出としては、平安京エイリアンなどとならんで学研の科学と学習の巻末の折り込み広告で毎号紹介されていましたが、高価なものだったためあんまり買える対象としては見ていなかったような気がします。電子ブロックも同じちらしに掲載されており、こちらも憧れの電子玩具でした。


 学研は電子ゲームに関しては、後発のメーカーでしたがアーケードからの移植作品を数多く出しており、どれも出来が良かった。この辺りは、さすが電子ブロックで4ビットマイコンまでやった学研という気がします。これらの電子ゲームや電子ブロックも、安価な家庭用コンピュータの普及に伴って姿を消してしまいました。



参考:帰ってきた電子ゲーム、ゲームセンターあらし/すがやみつる(小学館)、8ビット年代記・ゾルゲ市蔵(マイクロマガジン社)

マルチリフレクターライト ケース単品・SP武川

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 今週末は、土日にかけて所要が入ってます。来週一週間も日程を消化する必要のある予定あり。特に忙しいというわけでもないのですが、気になることがあるとあまり他の事をする気にもなれなかったり。というわけで、今週の購入物。


 SP武川のマルチリフレクターライト用のケース単品です。未使用品の新品で、定価は2,980円の購入価格は1,800円ほど。そこそこ安かったのですが、送料と振込み手数料を入れると新品の価格とあまり変わらなくなってしまいました。


 武川のマルチリフレクターライト本体は7,000円ほどしますので、ちょっと買えない。キタコのマルチリフレクターライトの中古品を入手していますので、必要は無かったのですが、純正品のケースが破損していたので予備が欲しかったため入手。


 武川のマルチリフレクターライトは基本的にはモンキー用のパーツですが、同じ部品を使っているドリーム50にも適合します(する筈)。そのマルチリフレクター用のケースですから、こちらも純正品として使える(筈)。


 さすが、新品は輝きが違います。製造は大陸製かもしれませんが、SP武川というメーカー品なので、出所不明のぱち物とは違います。ちなみに大陸製のマルチリフレクターライトだと、新品で2,400〜3,500円ほど。


 こちらが、純正品のレンズと反射鏡。スタンレー電気製。最近多い樹脂製とは違いガラスなので、曇りも無く捨ててしまうのはもったいない。


 合わせてみるまでは合うか不安でしたが、ボルトの穴まできっちり合いました。


 銀ドリームの純正品ライトケースはシルバーで、赤黒の特別仕様車が黒ケースになっています。銀ドリームに黒ケースは合うのでしょうか。


 キタコのメッキマルチリフレクターライトを使う予定なので、こちらはとりあえずストックパーツにします。


 こちらは、ホンダのオートバイ用グローブ。中古品で500円。新品だと2,980円程度のもの。寒くなってくるとグローブは必需品で、去年までは普通の手袋を使用していました。


 オートバイ専用のグローブは、補強やプロテクトが施してあるので基本的に高い。安くとも2,980円程度から、上は2万、3万ほどします。平均的な製品で大体4,000〜7,000円ほど。


 ドリーム50に合わせるなら、牛皮製の黒かグレーのシックなものが欲しいところ。赤と銀の線がちっともシックではないですが、ホンダの純正品なのでまあいいかということで。


 中古ですが状態もなかなか良い。ベース素材に滑り止めや補強が施されている作り。


 ずっとバイク用のグローブも欲しかったのですが、(高いので)延び延びになってました。


 ただひとつ問題があって、それはメッシュグローブだということ。つまり春、夏用ですな。だから競争も無くて、安かったということもあります。結局、普通の手袋と併用することになります。


 まあ、それでも500円だし、手袋も一つ欲しかったので良しとします。


 ということで、放置状態のドリーム50。うっすらと埃が積もり始めています、


 寒くなるとどうしても滞りがち。以前は半年にいっぺんくらいのペースでした。ドリーム50は、15年が経過して未だに走行数百キロ程度の新車同様のものが普通に売られていますので、元々がそれほど距離を走るバイクではありません。


 ということで、余裕のできる来週末辺りからちょこちょこといじっていきます。

LSIゲーム・インベーダー・学研

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 これは、1979〜80年頃に学研より発売されていたLSIゲーム・インベーダー


 学研は、子供向けの学習誌・科学と学習を発行していた出版社で、他には科学教材などわりとお堅いイメージの会社でした。これは、その学研が電子ゲームに参入した時の最初のものになると思います。バンダイやエポック、トミーなどの玩具専業メーカーのものに比べると、今ひとつ真面目というか垢抜けないというか、パッケージからも慣れてない感がひしひしと伝わってきます。


 本体スクリーンの横の数字はスコア。一番上段(UFO)が10点、高度により3点、2点、1点と得点が変わることを示しています。学研の電子ゲームは、デザインが優れているものが多いのですが、最初のものということで、やはりぎこちない感じ。


 箱裏の解説。あれこれ書き込んであるのですが、余計なことは書かず的確にルールを伝えている。単純なゲームなので、おそらく箱裏だけで遊び方は全て理解できる。これを読んでると、このゲームについて学習しているような気分になります。


 当時は、NECなどの電子部品メーカーに頼んでいるところも多かった筈ですが、学研が独自に開発したカスタムLSIと蛍光表示管を使用と記載されています。これだけで、なんか学研は凄いという気になる。


 パッケージ側面。この慣れて無さ加減、垢抜けなさ加減が、逆に新鮮だった。


 当時、7,000〜8,000円はしたはず。学研のものは流通経路の違いか、一般の玩具さんでは見かけないことも多かった気がする。そこが、また特別感を醸し出していました。科学と学習のように、学研のおばちゃん経由で手に入れることもできたのでしょうか。


 本体。左がミサイル砲台移動レバー、右がミサイル発射スイッチ。中央に電源のON/OFFとレベル(初級・中級・上級)という構成。リセットやスタートボタンに該当するものが無く、電源を入れるとゲームがいきなり始まり、ゲームオーバーのたびに電源を入れ直さなければならない。


 学研のインベーダー3部作(インベーダー・インベーダー1000・インベーダー2000)と共通する縦長のデザイン。バンビーノの初期のものや、同じ学研の平安京エイリアンっぽくもあります。


 お馴染み学研LSIゲームロゴもぎこちない感じ。並べられた☆がイカス。


 ゲーム画面はこのような感じ。インベーダーは2匹しかでません。インベーダーゲームは、もともとブロック崩しより発展させて考案されており隊列を組んだ形が特徴ですが、初期の家庭用では隊列を表現するもが難しかった。バンダイのミサイルベーダーでも一匹だけで、あくまでも雰囲気のみを再現していた。この2匹が左右に動きながら光線爆弾を打ち、段々と下に降りてきます。最下段まで侵略されるとゲームオーバー。ハイスコアが199点のため、割とすぐ終わってしまい、いかにも初期のゲームという印象ですが、意外と軽快に遊べて楽しい。


 続いて発表されたインベーダー1000は、これの改良版。最高得点が1000点まで引き上げられて、ゲーム時間も延びている。デザインもグッと垢抜けました。第3弾のインベーダー2000では、インベーダーというよりはギャラクシアンのようなゲームに。


 ゲーム性は変わってませんが、インベーダーと比べると、インベーダー1000の方は、角なんて付いてやはり少し垢抜けている。今見ると、2チャンネルのキャラっぽい。


 スペースインベーダー(Space Invaders)は、タイトーが1978年に発売したアーケードゲーム。ゲーム機を置いたゲーム喫茶や、インベーダーハウスと呼ばれるゲームセンターのはしりのような店が登場するなど、社会現象と呼ばれるほどのブームを巻き起こしました。ただし、この頃のゲームセンターは子供には敷居が高く、ゲームセンターあらしやTVの番組で知るのみでした。8時だよ!全員集合のコントにもインベーダーが登場し、その際はセットの電飾が上手くいかずに失敗して、いかりやさんがあやまっていたことを覚えています。


 もうしばらくすると、ブームも去って駄菓子屋に海賊版が入ったり、デパートのゲームコーナーで10円〜20円ゲームとして遊ぶことができたのですが、1ゲーム100円ではブーム期には子供には手が届きませんでした。なんとかインベーダーで遊びたいという需要を狙って、次々とインベーダーの電子ゲームが登場してきました。学研もその流れに乗って、電子ゲームへと参入して行ったのだと思います。


 この頃の子供向け学習誌には、小学館のものもあって、そちらには紙製の付録が付いていました。他社のものと比べると学研のものは漫画は少なく学習教材よりでしたが、プラスチック製の科学教材が付いており、好奇心を刺激され楽しかった。


 プランクトンの飼育セットやプラネタリウム、日光カメラなど、玩具感覚で遊べた。巻末には次号の予告が載っており、次月の付録が楽しそうなものだと首を長くして待っていた。


 学研は、電子ブロックやマイキット、トランシーバーなど、科学玩具も売っており、巻末にはこれらの広告も付いていた。学研の玩具は、デパートでもショーケースに入れられているような高価なものばかりだったので、買えるあてはありませんでしが。


 電子ブロックは少しずつ発展して、終いには4ビットマイコンを搭載したFXシリーズまで登場した。当時、(トミーのぴゅう太など)家庭に少しずつPCが入って来始めていた時期だったので、これが憧れの玩具だった。この(憧れの)電子ブロックの4ビットマイコンは、後に大人の科学として復刻されました。


 このような中に、当時としては最先端の玩具だった電子ゲームが登場してきたのですから、当時としては毎号巻末の折込チラシを穴が開くほど眺めていました。電子ゲームも出始めの頃は高価だったため、あまり買える対象としては現実味がありませんでしたけど。大人の科学で復刻して欲しいが、コストや販売価格、市場を考えると難しいのでしょうね。


 ということで、思い出の中で科学と学習と分かち難く結びついている学研LSIゲーム・インベーダーでした。



参考:Wiki スペースインベーダーの項、帰ってきた電子ゲーム、大人の科学 科学と学習ふろく百科(学研)

デジコム9(ナイン)・エポック社

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 これは、1978〜79年頃にエポック社より発売されたデジコム9(ナイン)。


 箱書きにはエポック社のマイコンベースボールなんて書いてありますが、この頃数多く発売されていたLEDを使った電子ゲームです。液晶を使用したG&Wや、蛍光表示管を使ったFLゲームが登場してくる少し前に、LEDを使用したこのような初期の電子ゲームが出ていました。80年代前半辺りだと、Jリーグ発足以前であり、まだまだ野球が人気が根強い頃でした。


 取り説、保証書。


 パッケージ裏のルール説明。


 ランナーやボール表示はLEDですが、このスコア表示が電子ゲーム初の蛍光表示管使用ということらしい。


 本体。野球の電子ゲームは、バンダイ、トミー、学研の各社から発売されていましたが、シンプルかつプレーンでなかなか良いデザイン。エポック社は野球盤の発売元でもありましたので、野球ゲーム元祖の意地といったところか。


 ピッチャーは反対側より操作。1人でも2人でも遊べるようになっており、それまでの野球盤と比べて、これが電子ゲーム化の最大の利点だったのかも。


 守備ボタンと球速、カーブ、ストレート、シュートが選択できなかなか細かい。


 ちなみに1人用はチェンジをせず、ランダムに延々投げられる球を一人で打って、守備ボタンを押して、先攻後攻の両チームを一人で進めていくという形。コンピュータとの対戦はできません。


 投球。ピッチャーの位置から球の軌跡をLEDの光で表現。


 ストライクゾーンの位置に来たときにタイミングよくバッティングボタンを押す。速球やチェンジアップも投げられますので、タイミングを狂わせて空振りを狙う。


 カーブ。このままボールになる場合と、ストライクゾーンに入る場合がある。


 シュート。野球盤でも中期以降のものでは、磁石を使って変化球を投げられるようになっていました。あれに良く似た感じ。


 直球のストライク。このときにバッティングを押し、守備側は守備ボタンを押すことでヒットの結果がわかります。ただし、これがタイミング等関係なしの完全ランダム。初期のものは、こうなっていることが多かった。ちなみにバントも出来て、ランナーがいると進塁します。


 以上のことからわかるように、野球の電子ゲーム化というよりは、マイコンを使った野球盤の自動化という側面もあるよう思います。


 スコアやカウントも自動で付けてくれて、それまでの野球盤では手動でしていたことを思えば、子供から見ると画期的で新しい野球ゲームに見えたことでしょう。もっとも近年の野球盤では、自動で付けてくれるものも登場していますね。


 デジコム9のヒットに気を良くしたのか、エポック社は電子ゲームをデジコムブランドとしてシリーズ化します。スポーツ物のデジコム・フットボール、デジコム・サッカー。野球ゲームは、デジコム・ベースボールとしてもう一本出してます。


 デジコムシリーズでおそらく最も売れたと思われる、デジコム・ベーダー。同時期に戦闘機のドッグファイトをゲーム化したデジコム・ファイターやブロック崩しのデジコム・ブロックもありました。


 デジコムシリーズ一番の変り種、デジコム・ルパン。音で推理するゲームです。


 この種のLED野球ゲームは、3,000円〜5,000円ほどと、電子ゲームにしては安価だったため、当時は誰かしら持っていてよく遊びました。バッティングが、ランダムということからもわかるように、まだ野球のルールを完全に再現したものとはいえず、飽きてしまうのも早かった。この後、液晶の時代になってからも野球ゲームは進化を続け、次第に複雑なルールを再現できるようになっていきます。※追記:この項を書くためにデジコム9で検索していたら、アマゾンにて新品が売られているのを見つけました(2013.12.8現在)。


 ということで、エポック社のマイコンベースボール・デジコム9(ナイン)でした。

参考:Nostalgia エポック デジコムの項、ドライブイン環8 電子ゲームの野球モノに手を出してみよう!

スーパーギャラクシアン・エポック社

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 こちらは、1981年にエポック社より発売されたLSIゲーム・スーパーギャラクシアン。


 元ネタは、いわずとしれたナムコのギャラクシアン(79)。インベーダーのブームも沈静化した後に、ポストインベーダーとして登場してきたゲームでした。インベーダーの移植を競っていた電子ゲームの方にも、さっそくビームギャラクシアン(バンダイ)、ビックバード(ギャル ボス)、GALAXIAN(コレコ)などが登場しました。


 そのような中に、電子ゲームの名門エポック社より発売されたのがこちらのビームギャラクシアン。ギャラクシアンの続編のギャラガは、81年の発売ですから電子ゲームブーム期に間に合っているのですが、こちらは何故か電子ゲームには移植されず仕舞い。FCやMSX、電波新聞社の手によって8ビットPCなどに移植されていました。ギャラクシアンという素材は、インベーダー、パックマンなどと並んで、電子ゲーム的にちょうど旬なゲームだったのだと思います。


 取り説と保証書。


 箱横の説明書き。エイリアンの動き方の説明と、?〜?までのステージ+ボーナスステージからなる事などが記載されています。特にエイリアンの多彩な動きについて、その軌跡とともに詳しく書かれており、このゲームの売りだったことが想像できます。


 本体に書かれたASTRO WARSとは、海外版のタイトル。それまでのデジコムシリーズとは一線を画した、奥行きのある画面に拡大レンズを使用した仕様になりました。


 操作系は、移動レバー、攻撃ボタン、ON/OFFスイッチ、レベルセレクト、スタートボタンと、この頃の標準的なもの。しかしグッと大人びてシックな感じ。


 スクリーンから蛍光表示管のゲーム画面まで、かなり奥行きがあります。またスクリーン前方には宇宙空間を描いたオーバーレイ付き。これらが、机上の宇宙戦争のちょっとした神秘的な雰囲気を醸し出すことに一役買っていました。


 アーケードの筐体を連想させて、今見ても十分に物欲を刺激されます。


 こちらがゲーム画面。画面上にビックバード(ギャル ボス)、待機中のパープルエイリアン、攻撃中のパープルエイリアンという構成。画面を流れる星空こそ再現されていませんでしたが、オリジナルの(雰囲気の)最限度はかなり高い。


 ステージ?では、パープルエイリアンの編隊を相手にします。この時、ビックバードは降下してこず、攻撃も出来ない。キャラの重ねあわせができないという、電子ゲームの表示の都合上仕方が無い部分もあります。パープルエイリアンは、クイックターンやジグザグなど2種類の動きを使い分けてきます。


 ステージ?では、スピンエイリアンとの一騎打ち。円を描くような、宙返りをするような多彩な動きを仕掛けてきます。こいつは、あまり弾は打たずに画面内を動き回ります。


 ステージ?では、いよいよビックバード(ギャル ボス)との対決。残念ながら彼らは降下してこず、左右に動きながら弾幕を張ってきます。バンダイ・ビームギャラクシアンでも、コレコ・GALAXIANでも、キャラの重ねあわせができない電子ゲームの事情により、ボスの降下は再現されていませんでした。この後、90年代にバンダイより発売された豆ゲーム版では再現されました。


 この時点では、オリジナルにそっくりなギャル ボスを再現してくれただけでも意味はあったと思います。


 これらをクリアすると、いよいよお待ちかねのボーナスステージ。自機の操縦席部分がいきなりジェット噴射を始めて本体と分離します。一定の高度に達した後、今度は降下を始めて再び本体とドッキングします。


 ゴゴゴ・・・


 一定の高度まで来ると噴射が止まる。本体は横に移動し始めます。


 攻撃ボタンを押すと、ジェット噴射を行うことが出来、時間内にタイミングを調整しながらドッキングを完了させるとボーナス得点が入ります。これを見た、当時の誰もがムーンクレスタ(80)じゃんと呟いた瞬間。


 ギャラクシアンといえばゲームセンターあらし。インベーダーブームにより登場してきたあらしですが、丁度ギャラクシアンが発売された辺りが人気が急上昇するタイミングに重なっており、物語内でも何度も対戦用ゲームとして使用されました。


 ナムコのファミコン参入第一弾でもあり、MSXへの参入と家庭用ブランドナムコットの第一弾でもありました。また第一線を退いた後も、駄菓子屋やデパート屋上の10円ゲームなどとして長いこと稼動していました。


 ゾルゲ市蔵氏の8ビット年代記でも一話を費やして、ギャラクシアンとゲームセンターだけで輝くことのできた銀河戦士の物語を紹介しています。


 ギャラクシアンといえば、同じくエポック社のカセットビジョンにも登場しています。この作品、タイトルはギャラクシアンなのですが、敵は弾を撃ってこずに隊列も作らないため、どちらかと言えばムーンクレスタの移植(に近い)。母船へのドッキングという形で、合体も再現しています。


 このタイトルだけギャラクシアンのムーンクレスタ、ちゃんとナムコより版権を取っていたそう。もしかすると、スーパーギャラクシアンの方でも取っているのかもしれません。電子ゲーム版に合体が挿入された理由も、何らかの形でカセットビジョン版と開発者の方の交流があったのかもしれませんね。


 当時の思い出としては、デパートの試遊機で遊んだのみでした。凄いとは思いましたが、この時点(81)だとG&WやGDなど液晶ゲームがかなり安くなってきた頃で、学校に持ち寄っては交換したり、売買をしていました。そのような感じだったので、9,000円近くするこれを買おう(買ってもらえる)とは考えませんでした。ゲーム内にムーンクレスタ(80)の要素が入っていることからもわかるように、ギャラクシアン(79)のゲーム化としも少し遅かったのかもしれませんね。


 ということで、国内のLSIゲームへの移植としては、屈指の出来の良さを誇るエポック社のスーパーギャラクシアンでした。



参考:Wiki ギャラクシアンの項、帰ってきた電子ゲーム、CVSオデッセイ、ゲームセンターあらし/すがやみつる(小学館)、8ビット年代記/ゾルゲ市蔵(マイクロマガジン社)

まだかな、まだかな 散財日記

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 さすがに年末ということで微妙に忙しい。夏にバイクのプチレストアを始めたのですが、寒いということもあってそれも放置状態に。ということで、散財日記兼雑記。
 
LSIゲーム・インディチャンピオン・(中古/学研) 500円

 最近はバイクのパーツの方を買っていますので、レトロ関係はご無沙汰気味。置き場所の問題もあるし。たまたま、この値段で出ていたので買ってみました。


 時期的には、平安京エイリアンやインベーダー1000辺りが出ていた頃(80〜81)の、学研LSIゲーム初期から中期にかけてのもの。これの一番の特徴は、FLゲーム並みの大きめの筐体に液晶画面を使用している点。同時期に、ガンファイターというものもありました。


 もう一つの大きな特徴は、フォーミュラーカーやレースカーを模したような筐体。ゼッケン類はシールになっていて、自分で好きなところに貼れます。


 電子ゲームの場合、FLゲームはあんまり人気無くて、液晶のゲームウォッチやゲームデジタルなどに人気が集まります。ただ、これはよく出てくるのですがあんまり人気が無くて、最初5,000円だったものが徐々に下がってこの値段に。


 学研のものはデザインがよいのですが、これも例にもれず。このデザインだけでも買う価値があるような気がします。


 ゲームの方は、アクセルレバーを入れると上からライバルカーが流れてくる、この時期に一般的だったレースゲーム。特に特筆することもありませんが、動きは意外とスムーズ。


 当時の子供は、アーケードよりの移植であるインベーダーや平安京エイリアンを買ったでしょうから、あまり特徴の無いこれは思い入れのある人は少ないのでしょう。ネット上にもほとんど情報がありません。


 ということで、かっちょいい筐体が、もう少し再評価をされても良さそうな学研インディチャンピオンでした。


LSIゲーム・インベーダー・(中古/学研) 2,000円ほど

 こちらは、もうネタとして紹介した学研の初代インベーダー。特に人気があるものでもありませんが、年代が古いということで箱付きのものがなかなか残ってない。まだ出始めでボックスアートもぎこちない箱が、この機種の魅力の半分以上を占めていると思うので、箱付が欲しかった。


 ネタにする時は修正をしていますが、実際は結構ボロボロ。


 なんだかんだ言っても30年以上前のものですし、箱が残っているだけでもすごいです。


 まだ学研が始めて電子ゲームに参入した頃のものなので、いろいろと慣れていない。他の玩具メーカーみたいに玩具ルートであまり流れなかったのか、科学と学習の広告以外では見ることがありませんでした。


 学研はゲームウォッチみたいな液晶の携帯機も数多く発売しており、結構がんばってました。科学と学習で全国の子供たちにPRできるというのが、強みだったのでしょう。


 当時8,000円近くしていたと思いますので、なかなか買ってもらえるという現実味はなかった。このあと出た平安京エイリアンは、絶対お年玉で買ってやろうと決意しましたが。


 ということで、年末のどこかそわそわした空気を感じると電子ゲームの頃を思い出します。

デジコムサッカー・エポック社

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 これは、1980〜81年頃にエポック社より発売されたデジコムサッカー。


 デジコム9(ナイン)、デジコムフットボール、デジコムベースボールに続く、デジコムシリーズのスポーツもののひとつ。この薄型のデジコムシリーズの最後でもあります。野球ゲームは当時の野球人気もあって、バンダイのベースボール・スーパーベースボール、学研のベースボール1〜3、モリタニのマイコンベースボール・盗塁王など数多く発売されていたのですが、沢山の選手を動かす必要のあるサッカーゲームはとても少なかった。キャプテン翼人気から、液晶のゲームが数種出ていたくらいでした。


 そもそもアーケードゲームですら、83年のアルファ電子のエキサイティングサッカーまでは、パスやシュートを繋げる本格的なものはほとんどなかった。そんな中、キャラ人気に頼ることも無く、本格的なサッカーゲームを作り上げています。


 取り説。ルールが独特なので、ないと遊び方を理解するまで大変。


 ひとチーム、C.F(センターフォワード)、R.H、L.H(ライト&レフトハーフ)、G.K(ゴールキーパー)と4人編成の変則的なルール。C.F(センターフォワードとG.K(ゴールキーパー)は、プレイヤーが操作し(一緒に動く)、R.H、L.H(ライト&レフトハーフ)はコンピューターが操作します。


 (スライディングは再現されてませんが)敵のボールを奪ったり、逆サイドにシュートを打ち込むなどのテクニックも紹介。 


 箱から出したところ。初期デジコムは、薄型で梱包もシンプル。当時8,000円近くした玩具なので、少し素っ気無い感じ。これ以後のスーパーギャラクシアン、スペースディフェンダー、ドラキュラハウスでは、大型で豪華な箱入りになりました。


 1人でも2人でも遊べるよう、両側にコントローラーが装備されています。サッカーを連想させるサッカーグラウンド型の筐体が素敵。デジコム9では球場型でしたが、内容と本体がリンクしているところが電子ゲームの良い点。


 グリーンで塗られたスクリーン周りが、青々とした天然芝を連想させる。


 ゲームとは直接関係ないですが、観客席も再現。気分を盛り上げます。


 操作は、C.F(センターフォワードとG.K(ゴールキーパー)の操作ボタン、シュートボタン、電源、PRO/AMAのレベル、1人用2人用の切り替え。サウンドのON/OFFが無く、やかましい電子音が鳴り響きます。


 ゲームスタート、キーパーを除くとフィールド内にいるのは3人と寂しい。


 横5列しかスペースが無く、パスボタンやボールの方向の蹴り分けもありませんので、独特なルールを採用しています。真ん中3列でキックすると真っ直ぐボールが飛び,両サイドでキックすると逆方向に飛びます。


 オフサイドは再現されていませんが、ゴールキックやスローインは再現。シュートが決まると選手が駆け回る演出も。


 後のサッカーゲームでは、ボールを持ったキャラをプレイヤーが操作することが可能になり、他のキャラをコンピュータ操作にすることで、大人数を一斉に動かすサッカーのルールを再現していました。これは最初期のものということで、操作できるキャラを1人(+ゴールキーパー)に絞っています。


 面白いかどうかは、良くわかりませんが、一応サッカーゲーム(らしきゲーム)としては成立しています。対戦したら楽しいのかも。


 Jリーグ発足後は、Jリーグ人気、日本代表人気もあって、SFCの時期にはサッカーゲームが氾濫しました。この時点では、まだサッカーが脚光を浴びる前でした。実に玄人好みの渋いゲームに仕上がっていると思います。


 この頃だとキャプテン翼の人気もあって、前述のエキサイティングサッカー(83/アルファ電子)、トラックボールを使用したテーカン ワールド カップ(86/テクモ)、家庭用では任天堂サッカー(85/任天堂)など、じわじわとサッカーゲームが登場していました。写真は、シミュレーションを使用したテクモの意欲作キャプテン翼(88/テクモ)


 ウイニングイレブンシリーズの源流とも言える(?)コナミのサッカー。セガからもチャンピオンサッカーが発表されていました。


 それ以前だと、トミーのLEDを使ったゲームにもサッカーがあったようです。点滅するボール(LED)を追っていく、まだ雰囲気だけを再現したものだったよう。これより前だと、エポック社が出していた野球盤のサッカー版みたいなボードゲームもありました。


 当時の思い出としては、野球のLSIゲームは遊びましたが、こちらは遊んだことはありませんでした。7,000〜8,000円する高価な玩具でしたので、インベーダーやパックマン、ギャラクシアンなど、アーケードからの移植のような派手なものに目を奪われていました。買ってもらうとしても、そのようなものをまず優先しただろうだと思います。


 ということで、玄人好みの激渋なゲーム性がイカス、エポック社のデジコムサッカーでした。

参考:Wiki サッカーゲームの項、デジコムサッカー取扱説明書(エポック社)

SP TAKEGAWA メガフォンマフラー

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 年末ということもあって、すっかりバイクネタは放置状態。飲み会でカラオケに行ったりとか、微妙に予定が入り出費がかさみます。ということで、あんまり物も購入していないのですが、少し動きがあったので久々のバイクネタ。

ホンダキーホルダー・(中古/メーカー不明) 300円ほど

 キーホルダーは、ドリーム50購入時にホンダ純正のHRCのものを買っていて、お気に入りだったのですが、鍵ごと紛失してしまいました。1,000円も出せば新品が手に入りますが、値段も安かったので購入。


 バイク用ではなく、車用のようです。しかもスマートキーケースみたい。本皮か合皮かはわかりませんが、作りはしっかりしてる。


 2,980円ほどで出ているもののよう。ちなみにロードランナーは別売りで200円くらいだったと思う。


 鍵の小さな原付用としては大袈裟ですが、安っぽい感じはしないので、まあいいかな。これだけの大きさがあれば、紛失もしにくいでしょうし。


 キーホルダーって腐るほど出ているイメージがありますが、逆に中古で売るほどのものでもないので、意外と数は少ない。で意外と、入札が多くて金額が上がってしまいます。送料まで入れると、よほど良いものでない限りあまりメリットはないですね。とりあえず、ホンダのキーホルダーが手に入ったので良しとします。


 寒くなってきたので放置状態のドリーム50。10月頃には台風ラッシュで雨がちの日が続き、11月は全週末に予定が入ったりと延び延びになり、そのうち寒くなって・・・といった感じ。


 動かしていないので、薄っすらと埃が積もっています。磨いたアルミもくすんでいる。夏と比べると太陽光が弱いので、余計にくすんだ感じに写ります。


 ウンカーもそのままかよ。と自分で自分に突っ込みを入れたりして。


 で、今回の購入物。自宅に帰ったらでかい箱が届いてました。


 新聞紙やぷちぷちで厳重に包装されています。


 SP TAKEGAWAのドリーム50用のメガフォンマフラー。中古品でお値段は、13,000円ほど。新品だと44,000円、実売価格で40,000円ほどします。


 ドリーム50は、15年ほど前のバイクになりますので、現在買える社外品マフラーは限られています。まだ買えるヨシムラの手曲げストリートサイクロンが90,000円ほど、中古品が60,000円ほどで落札されてました。後は、この武川のメッキが44,000円、艶消し黒が39,900円、今年になって発売されたSHIFTUPのメガホンマフラーが31,500円ほど。過去にはHRC製やらもあったのですが、現在では廃盤。ちなみに純正品は、一本15,000円×2で30,000円ほどします。


 中古で買う場合、熱が加わる排気口付近のフランジ部が錆びている場合がとても多い。純正品だと、ほとんどここが錆びています。艶消し黒塗装の場合、錆を落として耐熱塗料をスプレーすれば補修できてしまいますが、メッキだとそうはいきません。これは、かなり綺麗なもの。


 そうはいっても中古品のため新品のようにはいかない。本体に吊り下げる金具部分に錆が。


 この位であれば、ネバダルで落ちてしまうレベル。


 フランジ部の取付金具で隠れてしまう部分にもわずかな錆。逆にいうと、中古品でこのレベルなら極上の部類だと思います。


 現在つけているのも同じSP武川のメガホンマフラーですが、夏ごろから錆落しと平行して、交換用のマフラーを探していました。純正の綺麗なものが、2本で一万円くらいであればいいなと思って探していたのですが、2〜3回は中古ショップに問い合わせをし、4〜5回は入札して競り負けしていました(15,000円くらいになってしまう)。武川のものも綺麗なものはあまり出てきませんが、15,000円〜20,000円程度にはなってしまうと思います。


 半年近くかかって、やっとこさ落としたのがこれ、ということになります。


 ばらした状態で梱包されていますので、とりあえず仮組み立て。とは言っても、差し込むだけ。現在付けているマフラーは、この部分が錆で侵食されてしまってました。


 磨きにくく腐食しやすい二股部分も綺麗。


 全体から見たところ。私の持っているものと、マフラーエンド部分が異なっています。途中で仕様変更があったのでしょうか。当然こちらの方が、新しいバージョン。


 今つけているのも、錆以外はぜんぜん使えますので、取り付けるか予備パーツにするかは思案しているところ。メッキマフラーは、維持が大変で、補修が事実上不可能(再メッキしてくれる場所が限られており、新品を買うのと変わらない)だったりするので。


 前から見たところも綺麗ですね。


 使うのがもったいない。


 JMCA(全国二輪車用品連合会)の認定証にいたっては、表面の薄皮が残っているレベル。


 新しいマフラーエンドは、掃除もしやすそう。


 とりあえず交換して、現在のものを外した状態で錆落としをします。補修用として、オクに出すという方法もあるでしょうし。


 ということで、3連休バイク弄りがはかどればいいな・・・という連休初日でした。

エキサイトバイク(EXCITEBIKE)・任天堂

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 エキサイトバイク(EXCITEBIKE)は、任天堂より1984年に発売されたバイクレースゲーム。


 バイク弄りをするのはあまりにも寒いということで、バーチャルバイクネタ。任天堂のバイクゲームとしては定番といえる作品で、続編としてエキサイトバイク64、移植版としてVS.エキサイトバイク(アーケード、ディスクシステム)、GBA、Wii、3DS、Wii U版などが出ています。ゲームは、オフロードバイクを使ったモトクロス競技のゲーム化で、中でもスタジアムにジャンプ台などを設置して行うAMAスーパークロス選手権などをイメージさせるものになっています。


 ゲームは、1台でタイムを競うSECTION Aと他に3台のバイクと混走するSECTION Bかならなります。どちらもタイムを競うもので順位ではありませんが、SECTION Bの場合、他のバイクに接触をしたり、或いは妨害をしたりという要素が加わります。特徴的なのは、操作はアクセルとターボ(加速ボタン)のみでブレーキが無いという点。ターボボタンは、使用しすぎるとオーバーヒートを起こしますので、いかにこれを避けつつ速度を保つかというところがポイントになります。


 取り説。初期任天堂のソフトは、共通のフォーマットを持っていました。


 裏面。ゲーム&ウォッチのものとも少し共通する。


 障害物のジャンプの仕方。いかに速度を落とさないで、ジャンプをこなし、転倒しないよう着地を決めるか。これが、このゲームの肝。


 この時期のものとしては、珍しいコースを自由に作れる、エディットモードが付いていた。ただし、作ったコースを保存するのにはファミリーベーシックのデータレコーダが必要。


 箱の裏面。こちらもゲーム&ウォッチと一部共通する。


 昔のゲーム機では、バイク独特の操作性を再現するのが難しかったのか、カーレースに比べるとバイクのゲームは少なかった。こちらは79年頃にトミーより発売されたブラックレーサー。電子ゲームではなく障害物が印刷されたフイルムをモーターで動かすエレメカ。オートバイを使って、車やドラム缶など障害物を跳び越す、バイクスタントのような内容。同じトミーのポケットメイトでも、同じ題材のものがあった。


 こちらは、83年頃と電子ゲームブームの最後期に発売された、トミーのウイリークロッサー。バックライト付のカラー液晶仕様と、この間の技術の進歩を感じさせます。内容は、オフロードバイクを使って、上下に凸凹のあるコースを時間内に駆け抜けるというもの。敵バイクを煙幕で撃退したり、ヘリコプターが攻撃してきたりと、内容も随分進んでいます。


 エレメカ、電子ゲームの時代からファミコンの時代へ。ファミコン期には、有名なところでマッハライダー(MACH RIDER・85/任天堂)という作品もありました。


 PCでもレースやシュミレーション寄りの作品が、いくつか登場していました。


 中でもエポックメーキングな作品となったとのがセガのハングオン(HANG ON/85)。セガの大型筐体路線のはしりでもあり、大型の筐体に跨って、実際に傾けることでバイク独特の操作感を再現していました。


 このバイクゲーム+大型筐体という形では、86年にオフロードバイクを題材に取ったエンデューロレーサーも発売され、セガの家庭用ゲーム機などに移植されていました。


 また、続編としてHang-on Jr.、Super Hang On等が作られました。


 ポリゴンの時代になると、よりリアルな方向へ。初期ポリゴンでマン島のコースを再現したマンクスTT スーパーバイク(Manx TT Superbike/95)。こちらもアーケード版は、バイク型の筐体に乗り操作する。これより少し前のポリゴンでないものには、TAITO WGP(89)、セガGPライダー(90)等がありました。この辺りだと、バイクブームでゲームの題材になることも多くなっていたんですね。


 当時の思い出としては、自分では所有しておらず、友達の家で遊ばせてもらいました。気軽に遊べて、結構テクニックが必要でやりこむと奥が深いゲーム性などが、もてなし用のゲームとしては最適だったよう思います。


 ということで、レトロ・バイクゲームの定番エキサイトバイク(EXCITEBIKE)でした。

参考:Wiki エキサイトバイク、ハングオン、マンクスTT スーパーバイクの項

サファリ Safari・バンビーノ

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 これは、バンビーノより1980年に発売されたサファリ Safari。


 バンビーノは、電子部品の製造などをしていたエミックス社のブランド名で、蛍光表示管をゲーム画面に応用したゲーム機を、電子ゲームブームの初期の頃に発売していました。国内では、同社のUFO MASTER BLASTER STATIONがトミーよりミサイル遊撃作戦として発売されるなどしていましたが、玩具専業メーカーではなかったことと、海外への売り込みも視野に入れていたのか、箱などに書かれた文字はほとんがが英語表記と、実に渋いメーカーでした。


 中でも、初期に発売されたボクシング BOXINGとスペースレーザーファイト SPACE LASER FIGHTが、当時CMなどもしていたため有名 。


 サファリは、前述のUFO MASTER BLASTER STATION(78)、ボクシングとスペースレーザーファイト (79)に続いて、カーチェイスを題材に採ったレースンチェイス RACE 'N' CHASE(80)と同時期に発売されていたものです。サファリのタイトルどおりサバンナでの狩猟を題材にしています。


 本体裏の注意書き、操作ボタンの表示なども全て英語表記。クールなバンビーノロゴが、実にポップ。


 電子ゲームとしてもかなりマイナーな機種だとは思いますが、なぜか2台持っています。台数もそれほど出ておらず、発売時期も短かったとは思うのだが、なぜかこの2台微妙に異なっている。


 こちらは、サファリロゴが白でスクリーンが黒。


 もう一方は、サファリロゴが緑(枯れ草色)でスクリーンがグリーン。


 こうすると違いがよくわかる。それにしても微妙な曲線が実に綺麗なデザイン。


 微妙に異なるバージョン違いが存在しているんですね。操作パネルに張られているシールも微妙に異なっている。一般的に雑誌等で見かけるのは、グリーンパネルの方。一回くらいは再生産がかかったのかしら。


 電子ゲームで丸い筐体といえば、81年発売のトミーのLSIゲーム・パックマン。大きさはサファリの方が、一回りほどでかい。


 ここで、もう一つのサファリ発見か・・・。


 これは、自宅に置いてあったタッパ。


 照明と写真写りの関係で色が薄いが、実物は色合いも似ている。


 だからどうだというわけではありませんが、サファリのデザインがタッパっぽいのか、このタッパが変わった形をしているのか。


 ゲーム画面はこのような感じ。ライオン、ヘビ、カバ、キリン、ゾウ、ゴリラなどの総勢10種類の動物が登場。これらが、画面内を勝手に歩き回ります。中央に見える檻(捕獲車)で、動物を捕まえてゆきます。


 これが自機(捕獲用の檻)


 動物から反撃を受けることはありません。ゲーム性としても、ランダムに点滅する動物を捕獲車で囲い、蓋をして捕まえるだけ。時間制限内に何匹捕獲できたかを競います。初期のものということもありますが、ゲーム専業メーカーでないバンビーノのものは、シンプルなゲーム性のものが多かった。


 キリンをゲット(首だけだし)。


 口を開けたカバをゲット。


 と、このような感じでゲームは展開していきます。元ネタとなったものは無く、バンビーノのオリジナルだとは思いますが、サファリ、野生動物、狩猟ときて連想するのは、この時期のものだとやはりセガのトランキライザーガン(80)。


 トランキライザーガン(Tranquilizer Gun)は、セガより80年に発表されたアーケードゲームで、ハンターとなってジャングル内で麻酔弾により猛獣を眠らせ、車に捕獲するというゲーム。ヘビ、ゴリラ、ライオン、像と4種の動物が登場し、それぞれ眠らせるのに必要な弾数が異なっていた。


 結構ヒットとなったゲームで、ゲームセンターあらしにも登場。あらし対一平太、涙の対決の巻きの中で、全国の総番長を決める戦いの最中に川の中よりいきなり巨大スクリーンが登場。


 暴風の中凧に乗った戦いで、必殺技エレクトロニックサンダーを生む契機となりました。


 当時、このバンビーノのサファリは存在自体知りませんでした。セガのトランキライザーガンは、デパートの屋上やボーリング場などで遊びました。もし、このサファリの存在を知っていたら、トランキライザーガンの移植作に見えて、欲しかっただろうと思います。トランキライザーガンにしても、このサファリにしても、自然保護の観点からは現在では難しいゲームで、そういった意味でも貴重かもしれません。後年のルナーク(Runark・タイトー/90)では密猟者を取り締まる側、ジャンボサファリ(JAMBO! SAFARI・セガ/99)では、投げ縄を使った捕獲調査という設定にされていました。


 ということで、存在自体が激渋なバンビーノのサファリ Safariでした。

参考:Wikiトランキライザーガン、ルナーク、ジャンボサファリの項、帰ってきた電子ゲーム、ゲームセンターあらし/すがやみつる、SEGA AGES 2500公式ページ

W-RACING(ダブルレーシング)・バンダイ

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 これは、バンダイが1985年に発売したLCDゲームW-RACING・ダブルレーシング。


 1〜2対戦プレイが可能な2スクリーン型の携帯ゲームで、本体から分離可能なそれぞれ独立したスロットルを持っているところが特徴になります。


 パッケージ。


 フォーミュラカーの描かれたロゴがかっこいい。


 箱裏の遊び方の解説。85年製で、MADE IN JAPANの文字が。


 1985年と言えば、国内ではスーパーマリオが発売されて、FCブームが頂点に達した時期でしたから、それほど話題になったとも思われず、あまり記憶にはない機種です。ネット上にもほとんど情報がありませんので、ご存知の方は少ないのでは。ただ海外では、日本国内とは温度差があり、高価なTVゲームはそれほど急激に普及せずに、ゲーム&ウォッチやFL機の販売が続けられて、90年代前半くらいまでそれが続いていたというような事情もあるようです。(特にゲーム&ウォッチは、国内販売が行なわれなくなった後も、新作の販売が続けられています)


 ゲーム画面はこのような感じ。2台並んでいるのは、相手のスクリーンに互いの自機が現れているため。

 という事で、これも海外のサイトやオークションなどの方に登場してくる事が多いようです。それほど稀少なものだとは思えないのですが、なぜか海外の電子ゲームコレクターが出した電子ゲーム本『ELECTRONIC PLASTIC』の表紙を飾ったりしています。2つのスロットを握って対戦するというスタイルが、彼らのツボにはまったのでしょうか。(というか、海外版があるのかどうかもあやしいのですが・・・)


 本体。独立した2つのスロットルが、いかにも海外の方が好きそう。
 

 裏面はコードを収納しておけるよう、独特な形をしています。


 スクリーン。ダブルスクリーンとはいっても、別々に液晶画面があるわけではない。


 ノーマルコースとエキスパートコース。このような装飾が気分を盛り上げる。


 チャンピオンコース。


 4方向ジョイスティックで、スピード、ブレーキ、ハンドリングを全て行える。

 電子ゲームとしては後期のものですから、作りはかなり凝っていて良く出来ています。わざわざ取り外し可能なセパレートタイプのスロットルが装備されていますし、コースも3種類も準備されています。(これで燃料の概念があったら、完璧だったでしょう)。2人対戦ができるというスタイルでピンとくるのはFCでも人気だった、ナムコのファイナルラップなのですが、これは1987年に発表ですから、これが元ネタではないようです。時期的に任天堂F1レースや、ナムコのポールポジション等の影響が大きいのでしょうか。


 この頃は、すでにファミコンが主役なので、それほど高価なものではなかったと思われます。質感は、それほど高くない。


 本体の安っぽさを、デザインが補っている感じ。


 すでにスーパーマリオが登場している時期に、どんな層がターゲットだったのでしょう。やはり海外市場がメインだったのかも。


 スロットカーみたいな雰囲気もあります。


 まあどちらにしても、1985年のあのFC熱狂の時期では、子供に顧みられる事は少なかったでしょうから、ひっそりと発売されてひっそりと消えて行ったのでしょう。それでも、こういう時代を乗り越えてきた古い玩具には、その時代が投影されていますので、なんとも言えない感慨深い気分にはなります。※数少ない日本語の紹介記事としては、まんだらけさんのサイトに解説があります。



※2006年12月16日の記事を、写真を追加して再構成

参考:まんだらけ・電子遊戯広場

Mattel Auto Race (マテル オートレース)・マテル

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 これは、1976年に米国マテル社より発売されたMattel Auto Race (マテル オートレース)。


 これが、電子回路を使用した世界初の携帯型電子ゲームということのようです。表示部にはLEDを使用しており、スペースアラート(シューティング)、ベースボール、ホッケー、フットボール、サッカー、バスケットなど、沢山の種類が発売されていました。日本国内では、バンダイより発売されていた他、ゲームシンジケートシリーズとしてマテル社自体からも販売されていました。当時の価格は4,800円。また、最近になってクラシックシリーズとして、いくつかのスポーツゲームが復刻されていたようです。


 日本では、77〜78年ごろにLEDを使ったサブマリン、コンバット、ゴルフコンペが登場しており、その後のミサイルベーダー(ミサイルインベーダー)、チャンピオンレーサーがヒットしていました。基本的に、このゲーム機はそれらとよく似ており、バンダイのものはこれを参考に作られたのだと思われます。


 今ではあまり見かけない9ボルトの乾電池使用。バンダイのLEDもこれを使用していました。


 現在では、携帯型ゲーム機といえば液晶ですが、最初はLEDのランプの点滅によりゲーム画面を表示していました。有名なところでは、サイモン(Simon/日本では米澤玩具が78年に発売)、78年のMerlin(Parker Brothers/日本では、Dr.SMITHとして80年にトミーより発売)、タカトクトイスのゲームロボット九(82年頃)など。


 ゲーム画面はこのような感じ。LEDの線で車が表現され、自車は他のものより明るい輝点で表現されています。バンダイのLEDゲーム、チャンピオンレーサーと非常によく似た感じ。違いは、自車はギアの切り替えでスクリーン上部へと進んで行き、再び下部より出てきます。制限時間の99秒内に4周した時点でゲームは終了。そのタイムを競います。


 スクリーン下部についている自動車のマークの入ったハンドルで敵車を避けます。ギアは4段階あり、敵車の速度が速くなります。


 バンダイのチャンピオンレーサーでは、LEDの上に車型のセロファンが被せてあり、自動車レースっぽくなっていました。LEDの点(線)でしかないこれだと、想像力が必要となります。サウンドは、ジジジ・・・(一応エンジン音?)といった感じのもの。


 点数は無く、制限時間を知らせるタイマー。


 外見から想像するよりかなり本体はコンパクト。ゲームウォッチより一回り大きい程度しかありません。この頃のエレメカ、LEDゲームはどれも大きかったので、ちょっと意外な感じ。


 LEDの次に一般的となった、ゲーム表示画面に蛍光表示管を使用したFLゲームと比べてもこの程度。高価な玩具だったと思いますが、あまり高級感はない。ちなみにMade in Korea。この頃だと、日本メーカーのものはまだMade in japanが多かった。他には、Made in Hongkongなど。


 LED、蛍光表示管(VFD)と来て、80年のゲーム&ウォッチのヒットによりゲーム画面表示に液晶(LCD)が使われ始めます。こちらは、液晶ゲームの中でも比較的初期のトミースリムボーイ・レーシング5。


 これは、一つのゲーム機で縦スクロール型、周回コース型、ヘッドオン、カーチェイスなど5種のレースゲームが遊べるという優れもの。


 こちらは、80〜81年頃の学研のインディチャンピオン。薄くてコンパクトな本体が多かった液晶ゲームを、FLゲームのような大型の筐体に入れてしまった変り種。筐体がフォーミュラーカーを模したようなデザイン。


 この辺りまでくると、かなり一般的なレースゲームに近づいてきました。


 こちらは、電子ゲームブームも去り、FC全盛期であった85年に発売されたバンダイのW-RACING(ダブルレーシング)。


 ここまでくると、擬似3D表示の分割画面で2対戦が出来ようになっています。


 こちらは、レースゲームではありませんが、最後の蛍光表示管ゲームとなった85年発売のバンダイのスペースハリケーン。蛍光表示管をゲーム画面に使用したゲーム機は、これを最後に終焉を迎えました。


 ゲームスクリーンの内部にハーフミラーやジオラマ(情景模型)を備え、大きな操作レバーを装備するなど、蛍光表示管ゲームの最後を飾るのにふさわしい大艦巨砲主義。電子ゲームはここまで大きく豪華に発展しました。


 蛍光表示管の電子ゲームは、85年を最後に終焉を迎えましたが、液晶ゲームの方はゲーム&ウォッチからゲームボーイ、ゲームボーイカラー、ゲームボーイアドバンスと来て、NDS、PSPと現在まで発展を続けています。また、たまごっちやキーチェンのテトリスなど、安価なミニゲームとしても使われ続けています。


 自動車レースゲームの方に目を向ければ、FCの時代となりジッピーレース(83)、任天堂のF1レース(84)など、見下ろし型、擬似3D型など、様々なタイプが作られていきます。アーケードの方では、シミュレーション色の強いナムコのポールポジション(82)なども登場していました。


 86年には巨大なポリゴンを高速で表示し擬似3Dを表現したセガのアウトランが登場し、91年にはそのポリゴンによる擬似3Dを極限にまで推し進めたラッドモビール(SS版はゲイルレーサー)が登場。アーケードの方では、88年にポリゴンを使用した初のレースゲームであるウイニングラン(ナムコ)も登場しました。


 これらのゲームは、乗り込める大型の筐体を備えており、体感ゲームとも呼ばれていました。


 89年には、ポリゴンを使用したドライブシミュレーターといえるアタリのハードドライビンが登場。レースだけではなく、自動車の運転をリアルに再現するという方向性も生まれました。


 90年には、Atari Lynx、メガドライブ用として家庭にも登場。この頃から、家庭用とアーケードゲームの差が縮まっていきました。


 92年のセガのバーチャルレーシングを経由して、94年のデイトナUSA、95年のセガラリーチャンピオンシップでは、テクスチャーをポリゴンに貼ってよりリアルな3D表現が可能となりました。93年のナムコのリッジレーサーでは、車の挙動の楽しさを優先してリアルさではなくゲーム性を追及した方向性も生まれます。


 これらの流れが、実在する自動車メーカーの車を使った97年のグランツーリスモシリーズへと結実し、現在へと続いています。


 ということで、駆け足で見てきましたが、電子ゲームの始祖であり、家庭用レースゲームの源流ともいえるマテル社のマテル オートレース Mattel Auto Raceでした。

参考:Wiki Mattel Auto Race マテル オートレース、レースゲームカテゴリー、サイモン、Merlinの項、Nostalgia マテルの項、Handheld Antique、電子ゲームの世界

杏野はるなのレトロゲーム読本/杏野はるな著・ウェッジホールディングス/文苑堂

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 これは、2010年1月にウェッジホールディングスより発行された杏野はるなのレトロゲーム読本。


 ゲームアイドル杏野はるなさん執筆のレトロゲーム本です。杏野さんは、1988年生まれの25歳ということみたいですから、世代的にはまったく被っていないファミコンやらPC-エンジン等のネタを扱っていることになります。レトロゲームというニッチな隙間でアイドルを売り出すという面白い試みで知名度を上げられました。


 ネタは、フリマ巡りやらたまゲーなどにも似たレトロゲーム観光スポット巡り、PC-エンジン等のゲーム攻略、高橋名人、遠藤雅伸氏などとの対談など。世代の異なる若い方が書いてますので、本格的なレトロゲーム本としてよりも企画ものとして楽しい出来になっています。


 私はそれほど詳しいわけではないのですが、電子ゲームのコレクションなども公開されており、ネットだけにとどまらずTVやモデル等広く活躍されているようです。普通のグラビアアイドルだと、年齢とともに消えていくパターンも多いかと思いますが、バリ島のホテルを購入されたり、東京都中野区の観光大使に任命されたりと、まだまだ活躍されそうな雰囲気。


 FCがわかる30代後半〜40代くらいだと団塊世代Jrにあたるので、人も多い(マーケットも広い)ので、そこを狙うというのは上手い戦略なのかもしれません。レトロゲーム本も一時期ほどではないにせよ、たくさん出版されているようですから、潜在的な需要があるんでしょうな。


 表紙は、ログインやMSXマガジン、ファミ通などで御馴染みべーしっ君の荒井清和氏。パワーグローブやらハル研のJOY BALLやらSFCのスーパースコープやら、それらの世代には御馴染みのネタがちりばめられています。


 惜しむらくは、電子ゲームネタが一ページのみで少ないこと。ということで、企画物としても楽しく読める本に仕上がっていると思います。正月休みの緩い時間に読むのにも適しているかも。お勧め。

参考:Wiki 杏野はるなさんの項

デジコムルパン・エポック社

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 これは、1980年にエポック社より発売されたエポック社のマイコンゲーム デジコムルパン。


 ルパンといっても?世の方ではなく、文学の香り漂うアルセーヌ・ルパンの方。デジコムシリーズの中の一つですが、シリーズ内のみならず全ての電子ゲーム中でも飛び切りの変り種。それは、音を使って相手の位置を推理する“世界初の本格的サウンド推理ゲーム”(当時の広告のコピー)だということ。


 ゲームは、LEDの点滅を使ってゲーム画面を表示するLEDゲーム。2人での対戦が可能になっています。パッケージや本体は、ほかのデジコムシリーズに準拠しています。


 音を使ったゲームとしては、この時点だと潜水艦の位置をソナー音で探り当てるバンダイのサブマリンが有名。また、トミーのドクタースミスや、タカトクのゲームロボット九など、LEDゲームの中にもありそうです。近年(そうでもないですが)では、音だけで一切画像を使わないことで話題となった鬼才・飯野賢治氏のリアルサウンド 〜風のリグレット〜なども思い浮かびます。


 当時としてもかなり新しい試みだったのか、箱書きにもわざわざデジコムルパンとは・・・の解説が入る。


 格子状の町並みが舞台。施設としては、画廊、銀行、宝石店、そして空港。


 道は、赤、黄色、緑と色分けされており、赤の道を通ったときは赤の音♪〜、黄色では黄色の音♪〜、緑では緑の音♪〜とそれぞれ対応した音楽が流れます。


 説明書。これがないとなかなか大変。


 説明書にもそれぞれの楽譜が書かれている。この辺りにも少し文芸的でアカデミックな香りが。


 探偵側と怪盗側に別れて、それぞれ相手の位置は表示されません。音によって相手の位置を推理し、探偵側は逮捕、怪盗側はそれそれの施設で盗みを働いた後、空港へ脱出すれば勝ちとなります。音が♪〜→♪〜→♪〜と流れれば、緑の道→赤の道→黄色の道を通ったということがわかります。


 相手の通ったルートを予測するための記録用紙付。ゲームブックのアドベンチャーシートみたいな感じ。


 こちらが、本体。探偵側(ホームズ?)と怪盗側それぞれに操作パネルがあり、対面で遊びます。操作パネルの蓋は立てられるようになっており、相手に手の内を見られないようなっている。


 デザインは、非常にクールで秀逸。サイモンにせよ、ドクタースミスにせよ、ゲームロボットにせよ、音と光で遊ばせるLEDゲームは、外観のデザインも洒落たものが多かった。


 画廊、銀行、宝石店、空港にはそれぞれランプが灯る。そうでないと、通電しているんだがしていないんだがわからない。このジオラマや箱庭ちっくな感じは好き。


 箱から出してみると、未開封で包装のビニールが密封されており、つまり未使用品でした。30年以上遊ばれていなかったものを開封してみるのはさすがに躊躇する。ということで、雰囲気だけを。


 逮捕は3回までという制限があり、互い位置を表示する探索キー(制限あり)もあって、ゲームとして成立させるために、いろいろと制限が付け加えられています。説明書には、相手に悟られない移動のテクニックなども紹介されています。このようなものを駆使して、相手(CPU)と駆け引きをするというところが、このゲームの肝になります。


 ルパン側。デザインが洒落ている。


 DETECTIVE。探偵、刑事側。ホームズではないんですな。本体には、ELECTRONIC DETECTIVE GAMEの文字が。海外には、この名前で売ったのかも。


 当時の思い出としては、雑誌広告などで知るのみでした。近くに持っている人もいなかった。デジコムベーダーと同時期に発売されており、当時6,800円という価格もあって、こちらを選ぶ人は少なかったと思います。ネット上にもほとんど情報がありません。ただ、どんなゲームだろうとずっと謎で、遊んでみたかったゲームの一つではありました。この当時は、インベーダーやらブロック崩しやら既存のゲームを再現(しようと)したものがほとんどで、一からルールや遊び方を構築して新しいゲームを作り出した、このオリジナリティの高さは貴重だと思います。


 この学校図書館においてある児童文学書のようなパッケージ絵もクール。こんな怪盗がいたら、目立って仕方ありません。


 ということで、いろんな意味で通好みなエポック社のマイコンゲーム デジコムルパンでした。ちなみに、これフラッシュゲームとして再現されています。デジコムルパンやD-ルパンなどで出てきます。



参考:デジコムルパン説明書、Wiki リアルサウンド 〜風のリグレット〜の項、昭和の雑誌広告トナツカシモノ、D-ルパン


 おまけ。電子ゲーム2大アルセーヌ比較。あっさりめのデジコムルパン。


 トミーの黄金強奪作戦ルパン。濃い。怪盗ではなく別の趣味の人のよう。

スリムボーイ・レーシング5 SLIMBOY・RACING5・トミー

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 こちらは、1980年に発売されたトミーのSLIMBOY・RACING5 スリムボーイ・レーシング5。


 トミーのスリムボーイという液晶ゲームのシリーズの一つであり、5種類のゲームが楽しめます。スリムボーイは何種類かのゲームを内蔵しているのが売りであり、6種のシューティングゲームが楽しめるスリムボーイ・シューティング6と同時期に発売されました。その後、シリーズは続きスペースクオーツ、ベースボールクオーツ、ニューベースボールクォーツ、イデオン、ウォッチ&ボーリングとシリーズは続いていきます。またスリムボーイの名の通り本体が薄いこと、クオーツ(時計)が付いていることなども特徴でした。


 1、2.サーキットレーシングA、B。タイトーのフィスコ400(77)やアタリのインディ4(76)、スーパースプリント(86)、バッドランドズ(89)など、スクロールしない1画面のコースを周回するタイプのレースゲーム。


 3.デッドヒート。タイトーのスピードレースシリーズやセガのモナコGP(79)など、この頃定番であった縦スクロール型のレースゲーム。


 4.カーチェイス。この時期のカーチェイスだとバンビーノのLSIゲーム RACE 'N' CHASE(80)や、時期は異なりますがタイトーのチェイスH.Q.(88)など。個人的には、この画面からは任天堂のレーシング112を思い出します。


 5.ヘッドオン。これは、有名なセガのヘッドオンから。バンダイからも液晶ゲームに移植されていました。ちなみにオリジナルはドットイートの元祖ですが、これはドットイートしない。


 本体。ゲーム&ウォッチなどと比べてもかなり薄い。前述のように、(脳内補填して)ゴージャスなゲームが詰め込まれていることから考えても、高級感を売りにしていました。本体デザインや箱絵にも、子供の玩具っぽさがあまりなく、大人向けの文具のよう。初期ゲーム&ウォッチでも、クオーツ時計付を売りにして大人をターゲットにしていましたので、同時期のこちらでもその路線だったのでしょう。


 より大人っぽさや高級感を醸し出す、革っぽい合皮ケース付。ゲーム電卓などのこの当時の一般的な電卓よりも薄い。


 この高級感を演出している理由のひとつが、その価格。ゲーム&ウォッチが6,000円ほど、バンダイのゲームデジタルが4,980円その後→3,980円といった時代に、なんと9,980円。高価だった蛍光表示管ゲームが7,000円〜9,000円ほどでしたから、それ以上。電子ゲーム界のフェラーリと呼ばれたバンビーノの初期FLゲームに匹敵します。


 トミーの方のインタビューを読むと、大型の液晶を使っていたのが、高価になった理由のようです。この1〜2年後に発売されたスリムボーイ・スペースクオーツやイデオンでは、5,980円とかなり普通の値段に近づいています。


 トミーは、腕時計型のウォッチマンシリーズや、ウォッチマンを通常の筐体に改めたウォッチマン・デジプロシリーズ、ゲームの設定を自分で出来るプログラミング・デジプロシリーズなど、色々な液晶ゲームのシリーズを発売していました。写真のものは、プログラミング・デジプロのパワーマン。よく言えばバラエティに飛んでいる、悪く言えばゲーム&ウォッチやゲームデジタルシリーズのように一貫性がないといったところでしょうか。このスリムボーイシリーズは、そこそこ有名でネット上にもちらほら情報があります。個人的にも、当時これをデパートかどこかで手にした記憶も残っています。しかし、この価格ではとうてい買ってもらえるような対象ではありませんでした。


 ということで、今となっては一番の特徴はその価格だったという、トミーのSLIMBOY・RACING5 スリムボーイ・レーシング5でした。



参考:CVSオデッセイ、帰ってきた電子ゲーム、KLOV、Nostalgia スリムボーイの項、Wikiスピードレースシリーズ、モナコGP、フィスコ400、スーパースプリント、ヘッドオンの項、RATSCATS WEB PAGE カタログコレクション

LSIゲーム・インディチャンピオン・学研

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 これは、学習研究社より1980〜81年頃に発売されたLSIゲーム インディチャンピオン。


 FL(蛍光表示管)ゲームと同じ大きさの筐体に液晶画面を使用したレースゲーム。液晶ゲームは、そのコンパクトさを生かした薄型の筐体が多かったので、これは少し変則的。同じ頃にガンファイターというものも出ていました。学研のLSIゲームとしても割と初期のもので、まだ試行錯誤の段階だったのでしょうか。


 箱より取り出したところ。梱包などは蛍光表示管ゲームなどと変わらない。


 箱裏の解説なども、インベーダーや平安京エイリアンなどFL機と同じような構成。


 この頃にあった他のレースゲームとそう大きく変わる点はありませんが、ラップレースとタイムレースの2種類あることが特徴。


 本体。フォーミュラーカー(インディカー)を模したようなデザインがイカス。液晶なので、厚みはやはり薄い。


 手前がアクセルレバー、奥がハンドル。ニュートラル位置まで戻るレバーは、この頃の標準だったと思いますが、ニュートラル位置が下で固定というのは珍しい。


 インディチャンピオンというくらいなので、北米で人気のある自動車レースのインディ500を題材にしています。これは世界3大レースの一つであり、特徴としてはテクニカルなコースを走るF1とは異なり、オーバルコースを200周(500マイル)かけて走るというもの。オーバルコースとは、傾斜の付いた楕円形のコースのため、なだらかなカーブが続きます。日本ではマイナーですが、北米市場をにらんでか、関西精機製作所インディ500(68)、アタリIndy 4(76)、セガインディ500(95)など、結構ゲームの題材としても取り上げられます。


 アクセルを入れると、シャーという感じで滑らかにコースが流れていきます。数字下の道路わきの壁ようにも見えるものは、スピードメーター。電子ゲームのレースゲームというと、ぎこちないものを想像しますが、かなり気持ちよく走れる。


 クラッシュ。このゲームを遊んでみると、なだらかなカーブといい、やけに平坦に見えるライバルカーといい関西精機製作所のインディ500(68)やナムコのF-1(76)に代表されるような、幻灯機を使ったエレメカを連想します。この時点だとまだポールポジション(82)は出ていないと思われますので、案外これらのエレメカの移植だったのかも。これの開発の時点では、それらのエレメカもまだ十分現役でした。


 これらのエレメカは、実際にフォーミュラーカー型のコックピットに座って操縦をする体感ゲームの走り(ムービングはしませんが)みたいなものですから、であればこの凝った筐体もそれの再現として考えれば納得がいきます。あくまでも想像ですが、インディチャンピオンというタイトルも関西精機製作所のインディ500から来ているのかも知れませんね。


 学研のゲームはデザインが凝ったものが多いですが、これも同時代のレースゲームと比べると頭一つ飛びぬけて凝っています。白い筐体が非常にクール。


 アクセルレバーもペコッ、ペコッと軽くて軽快。気持ちいい。


 御馴染み学研ロゴもクール。


 こんなにかっこいいのに、かなりマイナー。ネット上にもほとんど情報がない。オークションでも、これ最初に5,000円で出ていたものが、徐々に下がって500円になっちゃうという不人気ぶり。


 同時期のものだと、学研初のLSIゲーム・インベーダー。


 インベーダーのキャラ換えバージョン、ジェットファイター。


 当時人気があり、今でも人気がある平安京エイリアンなど。


 学研の科学と学習の巻末に織り込みチラシが毎号付いており、それを毎月チェックするのが楽しみでした。インディチャンピオンもこれらとともに掲載されていたと思いますが、FL機と全く変わらない値段だったし、その上(わりとありがちな)レースゲームだったので、インベーダーや平安京エイリアンに目を奪われていたよう記憶しています。


 当時としてもあまり人気が無かったのか、友達でだれも持っている人がいなかったため、今回初めて遊びました。バンダイなどから出ていた、チャンピオンレーサー(LED)、サーキットチャンピオン(GD/LCD)なんかと比べても、よく出来ていて十分魅力的だと思います。しかし、上の2つは今でもかなり値が上がってしまう人気ぶりなのですが、それらに比べても人気は今ひとつの感じ。


 ということで、隠れた魅力一杯の学研のLSIゲーム インディチャンピオンでした。



参考:CVSオデッセイ、帰ってきた電子ゲーム、KLOV、Wiki関西精機製作所、F1(エレメカ)、インディ500(レース)、スピードレース(タイトー)の項

ウイリークロックレーサー WHEELIE CROSSER・トミー

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 これは、トミーより1983年に発売されたウイリークロックレーサー WHEELIE CROSSER。


 電子ゲームブームの最後期に作られたもので、ミスターDo!、モンスターバーガーと共にマルチカラーレーザー6000と呼ばれるシリーズの一つとして発売されました。FL(蛍光表示管)と液晶ゲームの中間ほどの大きさで、バックライト付のカラー液晶を使用した、ある意味電子ゲームの技術進化のひとつの到達地点とでも言えるものでした。


 WHEELIE CROSSERのWHEELIEとは、オートバイなどを前輪を浮かせて後輪だけで走らせる後輪走行のこと。CROSSERはモトクロスをする人くらいの意味でしょうか。弾けるようなPOPなロゴが80年代っぽい。


 本体。ゲーム&ウォッチなどよりふた周りほど大きく、バックライトの関係で厚さもそこそこあります。ただし、蛍光表示管ゲームよりはひと回り小さいくらい。結構、独特な大きさ。重さもそれらの中間くらい。


 電源のON/OFF、サウンドのON/OFF、4方向キーのみと、この辺りまで来ると操作系は完成されていて極めて簡潔なもの。ただしバイクは自動でスクロールして進みますので、前(ウイリー)、後(スモーク)、上(ジャンプ)、下(ダウン)とこのゲーム独特なもの。たった4つのキーでかなり色々なアクションをこなします。


 電池は、単3電池を4本使用。液晶だとボタン電池がほとんどでしたので、ここも少し珍しい。


 また液晶のゲームにしては珍しくACアダプターの端子付。


 トミーの蛍光表示管用のACアダプターが使えます。バックライトを使用する関係上、消費電力が普通の液晶ゲームより多いのでしょう。


 何度もネタに登場させていますが、トミーが78〜79年頃に発売したブラックライダー。当時、ヒットしたブラックレーサーの続編にして姉妹品。モトクロスのバイクを使って、車やドラム缶を飛び越すスタント競技をゲーム化しています。これLEDこそ使っていますが、電子ゲームですらないエレメカ。フイルムに障害物が印刷してあって、モーターの動力でそれを回すことにより動かしています。


 このウイリークロッサーは、いわば電子ゲーム出始めの頃のこのゲームのリメイク版とも言えるもの。4〜5年ほどと短かった電子ゲームブームの間に、どれくらい技術は進んだのでしょうか。


 また83年のFC発売とともに電子ゲームのブームは終焉を迎えますが(玩具屋のショーケースの主役の座を降りる)、翌84年にはモトクロスバイクゲームの古典ともいえるエキサイトバイクも登場しています。電子ゲームでどこまでやれたのでしょうか。


 ということで、ゲーム画面。トミーの方のインタビュー記事を読むと、単なるカラー液晶ではなく、ドット単位にカラーフィルターを付けた上に液晶をシャッターのように使ってバックライトで照らしているらしい。技術的なことは難しくてわかりませんが、蛍光表示管でもなくGBCやGGのようなカラー液晶でもない、独特の鮮やかな発色を見せています。


 大きな穴(ギャップ)。操作キーを下に入れて降りる必要があります。そのままだと自動では降りてくれないためミスになる。


 小さな穴(ギャップ)。操作キーを前に入れてウイリーで超えます。


 空き缶が連続してやってくる。操作キーを前に入れてウイリーでかわします。メトロクロスのように踏んでいるのかどうかは不明。


 ライバル(マッドライダー)は、前から来たものは操作キーを上に入れてジャンプでかわし、後ろから来たものは操作キーを後ろに入れて煙幕(排気ガス?)でかわします。また、カラスが飛んでおりジャンプ時にぶつかるとミスになります。


 空からはヘリが爆弾を落としてきます。爆弾は、操作キーを前に入れてウイリーすることでかわせます。


 道が上下に分岐して、どちらかにガソリンが出現。燃料制なので定期的に燃料をとって補給する必要があります。ジッピーレースみたいなシステム。


 時々やってくる気球にタイミングを合わせてジャンプするとボーナス得点。殺伐としたレースに訪れる一服の清涼のひと時。


 この過酷なレース(なのか?)を戦い抜く孤独なライダー。哀愁が漂います。ゲームは、同時代のムーンパトロールに非常によく似た感じ。


 スタートボタンを押さないでいると、延々と道が流れるデモが始まります。これが非常に綺麗。また、ゲーム中にもずっとBGMが流れており、その意味でも電子ゲームとしては珍しい。


 ということで、電子ゲームとしてはここまでやるかというほどの出色の出来。しかし、時代はFCへとバトンタッチ。そのためか、ここまでやったのに刀折れ矢尽きたようで、どこか哀愁を帯びていて寂しい。


 電子ゲーム後期のものということで、いわゆるレアもの扱いされたりもするようです。やはりミスターDo!が、一番人気のようですが、このウイリークロックレーサーもあまり見かけません。ネットで検索してみると、某専門店では(箱説付ですが)58,000円、税込みで60,000円の値段が。で、オークションでこれを落とした時の価格が100円。レトロ玩具なんて値段はあってないようなものだと思いますが、この価格は果たしてどうなんでしょうねえ。


 そのような大人の事情とは関係なく、一心不乱に時代を駆け抜けた、トミーのウイリークロックレーサー WHEELIE CROSSERでした。

参考:CVSオデッセイ、帰ってきた電子ゲーム、Nostalgiaマルチカラーレーザー6000シリーズの項

Apple II 1976‐1986/柴田文彦 編著・毎日コミュニケーションズ

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 これは、毎日コミュニケーションズより2004年に発行されたApple II 1976‐1986。


 世界で初めて、個人向けに完成品として販売されたパーソナルコンピュータApple IIについてまとめられた本。Apple IIは、組み立てキットだったApple ?に続いて1977年に登場しました。設計者は、アップル創設者の1人でもあるスティーブ・ウォズニアック氏。当時としては安価で画期的な製品であり、1993年の生産終了までに総計500万台が生産されアップル社の基礎を作りました。


 この本は、そのApple IIについて歴代のハード、周辺機器、互換機、ビジネス、ゲームなどのソフトウエア、当時の書籍、ノベルティにいたるまでを網羅したもの。日本でのApple IIを取り巻く動きに関しても、当時の関係者の証言を交えて解説してあります。洋書やApple IIが現役だった80年当時ならば、数多くの解説本、専門書が発売されていたとも思いますが、近年のものとしては稀なApple IIに関しての総合的な一冊であると思います。


 豊富な写真と当時のカタログなども交えてのハードや技術面での解説。ほとんどのページがカラーなので、眺めているだけでも楽しい。アップル社の製品は、昔からデザインが洒落ていた。


 アップル社のものだけではなく、当時沢山作られていた互換機のみならずクローン、各国バージョンについても紹介されている。当時画期的だった、フロッピーディスクドライブ diskIIなど、需要な意味をもった周辺機器も解説してある。


 国産のPCが20〜30万円だった時期に、ディスプレイ、ディスクドライブなど一式をそろえると100万円ほどしたという高嶺の花。よく通っていたデパートのPC売り場などに置いてあるはずも無く、自分的には見たことも無かった。後年、キャノンが日本での販売を手がけるようになってから、キャノンショップで見た(既にマッキントッシュがメインとなっていた)くらいでした。


 RPGの元祖のひとつといわれるウィザードリィもここから生まれた。


 こちらは、日本で発売されたPC-98版。移植はフォーチューンが担当し、アスキーより発売された。当時、日本語版への移植を担当されたフォーチューンの鈴木茂哉氏の回想も収められています。この当時、鈴木氏はなんとまだ学生。ウイザードリィ移植のためにフォーチューンを設立されたそう。


 RPGのもう一つの元祖、ウルティマもここから始まった。写真はウルティマ?。


 こちらは、日本で発売された国内移植版。最初はスタークラフト社がApple II版を移植、後にポニーキャニオンが権利を取得して、より綺麗なIBM-PC版が移植された。ファミコンに移植されたのもこの時期。


 どちらも、世界3大RPGの一つに数えられることもあるバーズテールとマイト&マジック。写真は、RPGのブーム時に国内メーカーより発売されたファミコン版。バーズテールはポニカ、マイト&マジックはなんと学研。


 日本ではクソゲー扱いされることもあるカラテカ。カラテカのシステムを発展させたプリンス・オブ・ペルシャもSFCで発売されました。


 世界的に売れたロードランナーとチョップリフター。


 チョップリフターは、国内PCのほかファミコンやアーケードにも移植されていた。


 ハドソンより発売されて爆発的なヒットとなったロードランナー。日本向けにキャラがかわいくなっている。アイレムよりアーケードゲームとしても発売され4作品も作られた。このハドソン版ロードランナーより、スピンオフしてボンバーマンが生まれた。


 国内向けにパッケージイラストがあらためられたPC(MSX)版。ファミコンより少し大人向け。MSX版はソニーより発売され、販促のためMSX本体におまけで付けられた。


 日本では、アップルタウン物語として発売されたリトルコンピュータピープル。PC内に住み着いた中年男を眺めるだけという、育成・環境ソフトのはしり。このような、実験的作品も数多く作られた。


 こちらは、アスキーより出版されたマッキントッシュ伝説。カタログ本ではなく、当時の開発者の話をまとめたノンフィクション。このような、アップル伝説本は現在でも数多く出版されています。


 “1977年の夏、最初のパーソナルコンピュータApple IIは登場した”というコピーが秀逸。鮮明で眩しく暑い夏の日を連想させます。前述のように、個人的にはApple IIなんて本物は見たことも無く、ログインなどの米国最新RPG事情みたいな記事で知るのみでした。自分的には、ザナドゥやハイドライド?などが発売され、256色のMSX2や4096色のFM-77AVが登場し、ウィザードリィが日本のPCに移植された1985年あたりが、この暑かった夏の日に該当します。結局、このような本はコンピュータの黎明期、アップル社の創世記、日本のPC事情のはじまりの頃を描いた、青春の本なのだと思います。


 ということで、当時の貴重な資料、カタログ本としても楽しめるApple II 1976‐1986。でした。



参考:Apple2 1976‐1986/柴田文彦 編著・毎日コミュニケーションズ、Wiki Apple II、スティーブ・ウォズニアック、ウィザードリィの項
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