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オールドゲーマーズヒストリー ロールプレイングゲーム創世記編・メディアパル

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 こちらは、2013年にメディアパル社より出版された、コンピュータゲームの歴史を俯瞰して紹介したオールドゲーマーズヒストリー ロールプレイイングゲーム創世記編。


 
 このシリーズは、簡単な解説とともにレトロゲームの歴史を俯瞰できるものとして出版されているムック本で、これまでにもオールドゲーマーズ白書 VOL1~5、オールドゲーマーズSAGA VOL1~4、アーケードゲーマーズ白書 VOL1~2、アクションゲームアーカイブス、そしてこのオールドゲーマーズ ヒストリーと発売されまくっています。このようなライトめのレトロゲームのムック本の場合だと、たいていファミコンを起点としているものが多く、ファミコン前史は抜け落ちている場合が多い。このオールドゲーマーズヒストリー ロールプレイイングゲーム創世記編では、この手の書籍としては珍しくPCのゲームまで網羅されていて、なかなか読み応えのあるものになっています。


 この本では、RPGの起点として、ウルティマの作者リチャード・ギャリオット氏が1979年の高校生の時に開発したAkalabethを持ってきている。Akalabethは、ウルティマ0とも呼ばれウルティマの原点になった作品。もっと突き詰めてRPGの源流ということになると、イギリスのJ・R・R・トールキンによって書かれた1937年のホビットの冒険、54年の指輪物語という小説が発表されたところにまで遡れる。このトールキン氏の世界観を元にして74年にTRPGの元祖であるダンジョンズ&ドラゴンズが登場。このダンジョンズ&ドラゴンズをコンピュータで再現しようとしたところからコンピュータRPGの歴史が始まった。現存する最古のRPGとしては、75年のpedit5だと言われる。76年には、世界最初期のRPGと言われるダンジョン、アドベンチャーゲームの元となったコロッサル・ケーブ・アドベンチャーなどが開発される。TRPGの成長や戦闘の部分をコンピュータ上で再現したものがRPGとなり、謎解きやダンジョンマスターとのやりとり部分を再現したものがアドベンチャーゲームとなって、これら2大ジャンルの源流は同じものだった。ただし、これらは大学など専門機関の大型コンピュータ上で動いており、一般に広く知られたものではなかった。Akalabethは、パーソナルコンピュータとして広く一般に普及したAppleⅡ上で動いており、そういった意味でこのAkalabethがRPGの原点のひとつとして位置づけられる。


 Akalabethは、海外版ウルティマコレクションに収録されているがもはや伝説と言ってよく、コンピュータRPGの原点として一般的なのは、ウルティマ、ローグ、ウイザードリィの3作品から。ローグは、この中ではもっとも早く1980年に登場している。それまでテキストで表現されていたコンピュータRPGに、キャラクター(といってもアルファベットや記号)が持ち込まれ、自動でダンジョンが生成されるところが画期的だった。ローグの日本語版が発売されたのは、相当に遅くてアスキーから86年。対してオリジナルのウルティマⅠは、81年に発売された。この時、リチャード氏はまだ大学生だった。


 コンピュータRPGの原点のひとつとして知られるウルティマですが、日本製PCにウルティマが移植されて遊べるようになったのは、スタークラフト社の手による1985年の発売とこちらも相当遅い。しかもウルティマⅠをすっ飛ばしてⅡから発売された。87年のUltima Ⅳからは、ポニーキャニオンに権利が移ってファミコンにも移植されて一般にも広く知られるようになった。この時にウルティマⅠからⅢまでもグラフィックが綺麗になったIBM-PC版が再度移植されなおして、再発売されている。


 もうひとつの源流、ウィザードリィ。81年にAppleⅡ向けに開発された。製作したのは、ロバート・ウッドヘッド氏とアンドリュー・グリーンバーグ氏の2人。彼らもまたこの時コーネル大の学生だった。日本語版は、アスキーより発売されたPC版が85年、遠藤雅伸氏率いるゲームスタジオが移植したファミコン版が87年に登場している。


 本シリーズは、オリジナル開発元の米国のサーテック社が倒産してしまったため、98年のウィザードリィ8でストップしている。またオリジナル製作者のアンドリュー・グリーンバーグ氏とロバート・ウッドヘッド氏ともそれぞれⅣとⅤまでしか関わっていない。日本で非常に人気が出たため、日本独自の外伝が何本も作られ、オンライン化もされるなど独自の発展を遂げている。Ⅵ以降からは、オリジナル製作者の2人が抜け、リルガミンの街が廃止され、呪文系統が変わるなど大幅に変化していて、新WIZとも呼ばれている。現在Ⅵ~8までの権利を持っているのは、実は日本の会社だったりする。


 ドラクエの鳥山明氏、すぎやまこういち氏に対して、コンシューマ版ではイラストに末弥純氏、音楽を羽田健太郎氏と、スタッフを固定したことも日本での一貫したイメージ作りに幸いしたのかもしれない。 ウルティマⅢ恐怖のエクソダスでは、台詞監修が秋元康氏、音楽担当は後藤次利氏と、おにゃん子コンビだった。


 ウルティマ、ウィザードリィに影響されて、海外では85年にバーズテール、87年にマイト&マジックというシリーズも開発されて人気を博している。当時、これらはどちらもウルティマ、ウィザードリィとあわせて、世界3大RPGに数えられていた。バーズテールの開発にはスカラブレイ出身の忍者ホークウィンドことロー・アダムスIII世氏が関わっており、氏はウルティマ、ウィザードリィの双方にも関与していた。他には、85年にSSIからファンタジーというシリーズも発売された。


 日本でのRPGの歴史としては、歴史シュミレーションで有名になった光栄より82年にドラゴン&プリンセス、83年にクフ王の秘密、ダンジョン剣と魔法、84年に日本ファルコムよりぱのらま島などが発売されている。ぱのらま島の作者は、ドラゴンスレイヤー、ザナドゥの木屋善夫氏。これらの作品は、RPGの要素を取り入れてはいるが、まだ完全にRPGだとは言えなかった。83年12月に、ヘンク・ロジャース氏が設立したBPSよりザ・ブラックオニキスが発売されている。この作品は、学生時代からTRPGを遊びつくしてRPGに精通していた米国人の手による作品で、容量の問題やRPGに不慣れな日本人にあわせて大幅に簡略化されてはいたものの完成度が高く、この作品が日本で最初の本格的なRPGと言われることが多い。


 84年には、ゼビウスで一躍有名になった遠藤雅伸氏の手により、アーケードゲームにRPGの要素を取り入れたドルアーガの塔が発表されている。これは、アーケードゲームという性質上、経験値ではなくアイテムや装備を入手することで主人公が成長するようになっていた。大手のナムコからアーケードゲームという場で発表されたことで、一般にファンタジーやRPGが広く知られるようになったのは、これが最初と言えるかもしれない。ナムコからは、85年にファンタジーやRPGの要素を取り入れたドラゴンバスター、86年に経験値とパスワードを取り入れたドルアーガの塔の続編イシターの復活も登場している。他に4人での同時プレイとパーティプレイを再現した85年のアタリ社のガントレット、よりRPGの要素を取り入れたアーケード作品としては、90年のデーターイーストのダークシール、91年タイトーのカダッシュなどがある。


 84年には、ドルアーガの塔やブラックオニキスの影響を受けて製作された内藤時浩氏のハイドライドがT&Eソフトから、ぱのらま島の木屋善夫氏の手によるドラゴンスレイヤーが日本ファルコムより発表されて、アクションRPGという新しい潮流が生まれた。翌85年には、続編のハイドライドⅡ、ドラゴンスレイヤーⅡであるザナドゥが発売され、PC誌のランキングで年間を通してベスト10圏内に入り続けるという現象がみられるようになり、PCの世界では一足先にRPGのブームが花開いていた。


 当時の8ビットPCでは、ファミコンより一足先に82~83年頃からゲーム市場と呼べるようなものが誕生していた。そのゲーム市場に続々と日本製RPGが登場してきた。こちらは、85年にローレゾ機種向けに開発されたクリスタルソフトのリザード。


 ウィザードリィ風のワイヤーフレームのダンジョンとウルティマⅢ風のタクティカルコンバットを導入した、同じ85年でクリスタルソフトのファンタジアン。


 ドラクエの元ネタになったとも言われる、同じく85年でクリスタルソフトの夢幻の心臓Ⅱ。これら以外にも、サイバーパンク調の世界観をもつザ・スクリーマー、ザ・ブラックオニキスの続編ファイアークリスタル、ドラゴンバスターとハイドライドの影響を受けたザインソフトのトリトーンなど、続々とRPGが作られていた。


 84年には、電源を使わない書籍の分野でも、ゲームブックという新しい潮流が生まれている。読者に選択肢を選ばせて自由に物語を組み立てられるという、もともとあったゲームブックという形式の本に、TRPGのソロクエストをヒントにRPGの要素をとりれたファイティングファンタジーというシリーズが、イギリスで新たに誕生する。その第1作目となった火吹き山の魔法使いは、世界的な大ヒットとなり、当時日本でも300万部を売り上げるという大ベストセラーになった。


 そしてついに86年にファミリーコンピュタでドラゴンクエストが発売される。最初は、ROMカセットという容量の問題からファミコンのユーザーである子供達にRPGという新しい遊びを受け入れてもらおうという提案から始まった。作者の堀井雄二氏は、PCで発表していたポートピア連続殺人事件、オホーツクに消ゆというAVGをファミコンに移植して好評を博しており、次はPCで流行っていたRPGを持ってこようということだったらしい。最初は、子供向けというイメージだったが、ROMカセットの容量が増えてフロッピーにも負けない大きなデータを扱えるようになったことから、徐々に高度化していき、独自の進化を遂げた日本製RPGの文化を生み出すこととなった。テレビや新聞に社会現象として取り上げられるようになり、RPGという遊びがゲームに関心のない一般にも広く知られることとなった。


 ドラクエが大ヒットしたことから、ファミコンでも爆発的なRPGのブームが訪れる。公式にはアドベンチャーゲームでRPGではない86年のゼルダの伝説も、アクションRPGとして認知され遊ばれていた。ナムコからは、同じく86年にアクションRPGのワルキューレの冒険が登場。スクエアのファイナルファンタジー、データイーストのヘラクレスの栄光、セガのファンシースター、アトラスの女神転生など、続々とRPGが製作されていった。


 海外では、モンスターが動き始め時間が経過するというリアルタイムのダンジョンが登場。FTL Gamesが87年に開発したダンジョンマスターはRPGのエポックメイキングな作品のひとつと言えるでしょう。89年には、初期のポリゴンをフィールドに採用して3Dのフィールドを自由に歩け回れるようになった、もうひとつの画期的な作品としてフランスのInfogrames社よりドラッケンも登場。この2作はスーパーファミコンに移植されたため、日本でも広く遊ばれていた。


 PCの方では、87年に難解さが売りであったRPGの世界に、謎解きメインではなく物語やシナリオを重視し、感動を持ちこんだイースという新しい流れが生まれる。また同87年には本体とシナリオ部分を分離して、追加シナリオという形で遊べるようにしたドラゴンスレイヤーシリーズの第5作目であるソーサリアンも日本ファルコムより登場している。この頃からメガドライブ、PC-エンジン、SFCとゲーム機の性能が、徐々にPCに追いついてきたことから、PCのゲーム市場は徐々に縮小を始め、ゲームの中心がコンシューマへと移ってゆく。


 これ以降は、シナリオや感動的な物語、ムービーシーンなどの見せる要素を重視した日本製RPGというひとつのジャンルを築くまでに発展していきます。


 ということで、駆け足でRPGの歴史を俯瞰してみました。このオールドゲーマーズヒストリー ロールプレイングゲーム創世記編は、1,000円程度の廉価な価格で入手できるライトなレトロゲーム本にしては、珍しく読み応えのある一冊と言えるように思います。



参考:Wiki ウルティマ、ウィザードリィ、ローグ、ダンジョン(コンピュータゲーム)、コロッサル・ケーブ・アドベンチャー、バーズテイル、マイト&マジック、ヘンク・ロジャースの項、顔面ソニーレイ+、ネット世代の雑評論 コンピューターRPGの歴史、個人的メモ、Nostalgia 迷路の色、古い男の部屋、ゲームレガシー、オールドゲーマーズヒストリー ロールプレイングゲーム創世記編/メディアパル

LSI Portable Game サブマリン SUBMARINE・バンダイ

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 こちらは、1978年頃にバンダイより発売されたLSI Portable Game サブマリン SUBMARINE。


 世界初の携帯型の電子ゲームとして、76年に米マテル社よりMattel Auto Raceが発売された。これは、大規模集積回路(LSI)チップによって制御されたゲームを、LED(発光ダイオード)をディスプレイとして使用し、表現するという当時としては最先端の玩具でした。これは日本でもマテル社の手により、マテル・ゲームシンジケートシリーズとして売られていましたが、一部はバンダイからも輸入玩具として販売されていました。このLSIゲーム サブマリン SUBMARINEは、それらのマテル社のLEDゲームを参考に作られた、国産電子ゲーム最初期のものだと思います。同時期にサブマリン、コンバット、ゴルフコンペの3種類で発売され、後にミサイルベーダー、チャンピオンレーサー、スーパーミサイルベーダーがラインナップに加わりました。


 ゲームは、駆逐艦を操作してソナー音を頼りに、見えない潜水艦を沈没させるというもの。似たようなアイデアとしては、68年に米国アイデアル社より発売され、日本ではエポック社から販売されていたレーダーサーチゲームというものがありました。バンダイからは、蛍光表示菅のゲームとして潜水艦と駆逐艦側に分かれて2人で対戦できるUボート大作戦、太陽電池を使用して2面構成で遊べるLCDゲーム激戦Uボートというものも出ていました。また79年には、ナムコからサブマリン(Submarine)という潜水艦の潜望鏡をのぞいて魚雷で駆逐艦を攻撃するエレメカもでていて、この箱絵のイメージだと、エレメカのサブマリンに近いかなと思います。


 ハンディタイプということと、LSI使用ということをパッケージでは強調しています。日本の電子ゲームとしては、ほぼ最初期のものなので、小型なのに高価ということで買うほうも躊躇することがあったのかも。こちらも、マテル社のゲームシンジケートシリーズを参考にしたようなデザイン。


 取り説と保証書。当時の玩具やゲームは非電源系のものも多かったので、保証書というのも珍しかったかも。買ったお店のスタンプを押してもらって、それもまた誇らしかったりした。


 操作系統は、電源スイッチ、アクション(移動)キー、攻撃スイッチとシンプル。本体には、MADE IN JAPANの文字が。日本国内で、ものが作られていた幸福な時代。


 ゲーム画面は、このような感じ。赤く光って見えているのが駆逐艦(自機)。潜水艦はまったく見えず、音でしかその存在を確認できない。これ以外に、時折画面を赤い光が左右から横切って行くことがあり、これは敵の魚雷攻撃のため、避けなければ一発でゲームオーバーになってしまう。また弾数制限があって、一定数の魚雷を撃ち終えたところでゲームは終了となる。バンダイの初期LEDゲームには、バージョン違いがあってむき出しのLED球が自機のバージョンと、キャラクターの形に抜かれたオーバーレイを使用したバージョンがある。こちらは、自機が船の形をした後期型。


 敵の探索はソナー音によって行う。駆逐艦の周囲に潜水艦が潜んでいる時に、ビーッ、ビーッと長めのソナー音。真下あるいは上下にいるときにはビッビッビッとソナー音が早くなる。実際には、ジッジッジッ・・・ジジジジ・・・といった感じの音の変化だけど。この時に、攻撃ボタンを押して攻撃をする。


 ビーッ、ビーッが(1)、ビッビッビッが(2)の場合。(2)の場合だと縦三列の中のどこかに潜水艦がいることになる。これが、妙に分かりにくいルールで、子供の頃はうまく理解ができなかった。(2)の場合でも、ほとんど中央でしかヒットせず、上や下の位置で魚雷を投下しても外れてしまう。もちろん中央で投下しても空振りしてしまうことはある。そのために余計に混乱した。逆を返せば、魚雷を避けながらビッビッビッとソナー音が短くなるところを探し、ある一定のタイミングで中央で攻撃しているだけで、簡単にカンストに持っていけた。ミサイルベーダーでもこの永久パターンがある仕様だった。


 アクションキーで移動して、ソナー音が短くなる場所を探り当てたら、魚雷を投下。撮影の都合上、左手だけでやっていますが、実際には両手で遊びます。


 このバンダイの初期LEDシリーズは、ほんとうにマテルのLEDゲームによく似ていた。9V電池という変則的な電源を使用するところも同じ。大きさは、マテル社のものが一回りほど小さい。このシリーズのミサイルベーダーがヒットしたためか、バンダイの初期電子ゲームは、箱の絵や筐体のデザインなど共通のフォーマットで作られていた。マテル社のものは、海外製の高価な玩具というイメージだったが、このバンダイのシリーズのおかげでグッと身近になった。


 当時の思い出としては、このサブマリンは買ってもらって持っていた。同時期に、戦車と地雷戦を題材にしたコンバット、ゴルフを電子ゲーム化したゴルフコンペがあって、どれが良いか目を皿のようにして見比べ、熟考して買ってもらった。エレメカよりは高度だったけれど、やはり単純なものなのでしばらくすると飽きてきてしまうのはお約束。分解して内部構造やLSIを見ようと試みたのもお約束だった。最後はどうなったか、覚えていない。中古の玩具を買い取ってくれるところなどなかったはずなので、いつの間にか燃えないごみに出されてしまったのだろうか。


 ということで、今見ると大人びているというか、舶来品の香りがするというか、大変クールなLSI Portable Game サブマリン SUBMARINEでした。



参考:帰ってきた電子ゲーム、Nostalgia、山口 浩の「汚い部屋」

LSI Portable Game ベースボールBASE BALL・バンダイ

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 これは、1977年~78年頃にバンダイから発売されたLSI Portable Game BASE BALL ベースボール。数種類が発売されたバンダイの電子ゲームベースボールの中でも、もっともベーシックな最初期に発売されたもの。


 ゲームの処理にLSI(大規模集積回路)を使った日本製のものとしては、最初期のものになると思います。野球の室内ゲームとしては、電気を使わないものとして1958年にエポック社より野球盤(似たようなものは戦前からあったらしい)が発売されています。学校の休み時間などでも遊べるものとして、タカラが78年から98年までの21年間販売していたカードゲームえんぴつ野球があり、70年代後半頃になると、電池やギアを使ったエレメカが登場してきます、その後の昭和50年代頃に登場してきたのが、この電子ゲームの野球ということになります。アーケードゲームの方では、パチンコやピンボールタイプのエレメカがあり、83年にはアルファ電子開発、セガ販売のチャンピオンベースボールが登場。ファミコン発売以降の83年には任天堂ベースボール、86年にはファミスタが登場して人気を博します。この頃までは、野球が人気スポーツの王者であり、(プレイや観戦も含めて)娯楽の中心でもあった。


 バンダイエレクトロニクスの文字が誇らしげ。それまで野球ゲームの主役であった野球盤では、手動でやっていた点数付けやランナーの進塁などをすべて自動化したところが新しかった。また、対戦相手がいなくともコンピュータが相手をしてくれる点が、核家族化や鍵っ子などと言われ始めた時代にもマッチしていた。


 箱裏の解説。イメージとしては、小型の野球盤に非常に近い。野球盤をLSIチップで制御し自動化したものと言える。


 個人的には、野球はあまり興味ありませんでしたが、この頃多くいた野球少年たちの目には、輝いて映ったはず。


 取扱説明書と保証書。アンケート葉書。点数掲示板風の目隠し板が付いている。


 こちらが本体。ベーシックというか、完成されたデザインというか、この後もエポック社、トミー、学研、モリタニなど各社から同じような電子ゲームがでましたが、それらの中でも一番良いのではないかと思います。


 写真やネットなどで見るときには、あまり見かけませんが、スコアボードを模した板が付いている。こちらは、電光掲示してくれるというようなものではなく、単なる紙の板でピッチャーの手元を隠すためのものだと思われる。


 攻撃役と守備側のそれぞれの操作系。投手側は、カーブ・スローボール・スピードボール・シュートの4種が投げられる。バッター側は、バッティングのみが可能。チェンジアップを含めて5種類の球種やスチールが可能になった改良版のLSIベースボールや、ゴージャスなスーパーベースボールが存在する。オートとマニュアルの切り替えスイッチが付いており、ピッチャーをコンピュータにして一人で遊ぶときにはオート、2人で対戦する場合にはマニュアルを選択する。


 単三電池3本という、なかなか変わった設定になっている。電子ゲームの場合だと、大抵は単三電池4本か単二電池を4本だった。


 前回紹介したサブマリンが5000番台だったのに対して、81万番台と2桁ほど桁が違う。メジャーな野球ゲームということで、売れ方のスケールが違っていたのでしょう。


 こちらは、同時期に発売されていたエポック社のデジコムナイン。これもとてもよく見かけた。直接のライバルと言えるかも。


 バッティングできる範囲は0.5秒(ハイスピードボールでは0.25秒)。この0.5秒の時間内で、早打ちするとレフト方向、遅打ちするとライト方向に飛ぶようになっている。ちょうど中間のポイントでヒットした場合にホームランとなる。


 gifアニメなのであくまでもイメージですが、ボールの軌跡のイメージとしては、このような感じ。ちゃんとランナーも塁に進塁する。ルールとしては、もちろん高低差の概念はありませんので、ほとんど野球盤と同じと考えてよいと思います。


 自動でカウントも表示してくれる。改良版のLSIベースボールでは、カウント表示もストライクが黄色、ボールが緑とカラフルになっている。


 イメージと少し異なる点としては、オートでコンピュータがやってくれるのはピッチャーのみ。そのため一人で遊ぶ場合は、延々バッティングをすることになる。また、2人対戦の場合でも1回のみで累積点数をカウントしないため、9イニングの試合を行いたい場合には、紙に点数をメモしておく必要がある。出始めの頃の電子ゲームなので、色々と制約はあります。各社が出していた電子ゲームごとのより詳しい解説は、こちらにあります


 バンダイの電子ゲームの中でももっとも最初期のものなので、機能面で多少見劣りするのは仕方がないかも。まず最初に野球ゲームが出て、ミサイルベーダーなどのLEDゲーム、FLバトルビーム、FLグランプリチャンピオンなどの蛍光表示菅、FLギャラクシアン、FLパックリモンスターといった時系列だったと思います。


 個人的な思い出としては、前回のサブマリンを買ってもらった日に、いとこの家に行ったらこれがあった。変わりばんこに、交代交代遊んだが、それは少し前に買ってもらっていたものだったので、もうその時点でも少し古い印象がした。こちらの方がサブマリンなどよりも発売時期が古いことがわかります。いとこは、電子ゲームなどにそれほど興味あるタイプではなかったと思いますが、野球ゲームということで買ってもらったのでしょう。そういった意味で、そうとう売れていたためあちこちで見かけたため、多くの方の思い出の中に登場するゲームだと思います。


 ということで、バンダイ電子ゲームの基本とでも言えそうなLSI Portable Game BASE BALL ベースボールでした。



参考:Wiki 野球盤、プロ野球ゲームの項、ドライブイン環8 電子ゲームの野球モノに手を出してみよう!、Nostalgia バンダイの項、TNCおアソビ探偵団、すかせが

LSI Portable Game FLバトルビーム FL BATTLE BEAM・バンダイ

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 これは、バンダイより1980年頃に発売されていたLSI Portable Game FLバトルビーム BATTLE BEAM。


 大ヒットとなったLED(発光ダイオード)ゲームのミサイルベーダー、チャンピオンレーサーに続いて、バンダイが満を持して市場に送り込んだFL(蛍光表示菅)ゲーム。ミサイルベーダーは、同シリーズのサブマリン、コンバット、ゴルフコンペが4,500円だったのに対し、3,980円という価格で勝負を賭けてきました。デザインやゲーム性が良かったことに加えて、廉価だったことから大ヒットとなりましたが、エポック社、トミー、バンビーノなど、他社の蛍光表示菅ゲームと比べると少し見劣りしてしまう部分があったことも事実。少しずつこの頃から、電子ゲームの主役がLEDから蛍光表示菅に移り始めてきたのだと思います。そこに、バンダイ初のFLゲームとして、FL グランプリチャンピオンとともに市場へと送り出されてきたのが、このFL バトルビームでした。


 ゲームは、ミサイル基地を移動させて迫って来る敵の戦闘機を打ち落とすというもの。時間制限制で決められた時間内に、撃墜したポイントで得点を競う。敵のミサイルに当たってしまうと、ゲーム時間が20秒ずつ短縮されていく。箱には、画面くっきりリアルなアクション、2色蛍光表示菅使用とあり、蛍光表示菅を使って綺麗な画面を実現したことが売りだったようです。


 取扱説明書と保証書。バンダイ最初期の蛍光表示菅ゲームなので、ゲーム性はとてもシンプル。バンビーノのUFO MASTER BLASTER STATION(タカラのミサイル遊撃作戦)学研のジェットファイターにも、少し似た内容。 敵戦闘機は、迎撃した距離により点数が変化する。それにしても、3点、2点、1点とは、あまりありがたみはない。画面上部からやってくる戦闘機をひたすら撃つだけという、あまりにシンプルな内容にはあっているのかもしれませんが。ちなみに、もうひとつのFL グランプリチャンピオンは、チャンピオンレーサーのFLゲーム版といった内容。


 ゲームのジャンルとしては、縦型のシューティングゲーム。残念ながら、背景が無いのでスクロールはしない。ゲームの内容的には、あまり特筆すべき点はないが、筐体のデザインは流れるような流線型でえらくかっこいい。 


 操作系は、左右への移動レバー(アクションスティック)とファイアー(攻撃)キー、電源スイッチを兼ねたHIとLOWのレベル切り替えスイッチと至ってシンプル。蛍光表示菅は電力の消費量が大きいためか、電池のみだったこれまでのLEDゲームとは異なり、ACアダプターも使えるようになっている。
 

 バンビーノや学研のような、お洒落感はないが、バンダイらしい玩具的なかっこよさがある。細部に、実用には意味のない様々な装飾も施されていて、デティールも凝っている。どこかガンプラっぽい気もしますな。HIとLOWのゲーム切り替えスイッチが、レバーっぽくなっているところなんかもイカス。


 81万番台と桁違いだったベースボールにはとても及びませんが、5000番台だったサブマリンに対しては6000番台と健闘している。出始めの頃の蛍光表示菅のゲームということで、7,000円~8,000円ほどはして高価だった筈ですが。


 電池は単3電池を4本と、この頃のゲームの標準型。筐体が大型化してくるにつれて、蛍光表示菅ゲームでは単2電池が標準になっていきますが。初期のFL機は、どれもスリムなものが多かったので、こういった選択になったのでしょう。


 ゲーム画面はこのような感じ。下に見えるのが、自機のミサイル基地。左右に3コマしか動けません。敵機は、画面上方より来襲。上からやってくる敵機の軌道上にミサイル基地を移動させ、ミサイルで迎撃します。単純ですが、結構やってくる敵機の数が多くて攻撃も激しいため、意外と熱くなる。


 ゲームのイメージとしては、こんな感じ。ひたすらやってくる敵機を、制限時間内で延々と迎え撃つ。



 単純なんだけど、敵機やミサイル基地の造形もよいし、スリムな筐体のデザインも良い。すごく面白いというわけではないけれど、捨てがたい魅力はある。これが、FLビームギャラクシアンやFL機動戦士ガンダムに繋がったと思えば、初めての蛍光表示菅ゲームということで、技術者のケーススタディーとしては上出来なんじゃないでしょうか。バンダイ流のUFO MASTER BLASTER STATIONという気もする。


 LEDにフイルムのオーバーレイを掛けてキャラクターを表現していたLDEゲームから見れば、表現の繊細さはやはり蛍光表示菅が上。ネオン管の一種なので、押入れや布団の中など暗闇で輝く様は、今のゲーム機でも替えが効かない独自性がある。この後、しばらくはFL機が市場の中心となる時期が続きますが、任天堂のG&W以降は液晶に主役の座を奪われてしまい、ゲーム用途としては1985年を最後に終焉を迎えた。


 個人的な思い出としては、LSIベースボール、LEDのサブマリン、コンバット、ゴルフコンペ、ミサイルベーダー、チャンピオンレーサー、FLビームギャラクシアン、FLクレイジークライマーなどは知っていたのだが、なぜかこのシリーズだけは当時知らなかった。情報源がコロコロコミックや学研の科学と学習の折り込み広告、少年ジャンプや少年チャンピオンなど雑誌の広告くらいしかない時代なので、デパートに行ってみて初めて新製品を知るということも多かった。ということで、これが発売されていた時期に、デパートで遭遇する機会はなかったのでしょう。ヒットした玩具以外では、生産分を売り切って終了ということも多いので、巡りあう機会も一期一会みたいな部分があります。


 ということで、スリムでお洒落なバンダイの蛍光表示菅ルーキーLSI Portable Game FLバトルビーム BATTLE BEAMでした。



参考:Handheld Antique、FLグランプリチャンピオン、FLバトルビームの項、Nostalgia バンダイの項

サマータイムマシンブルース・ポニーキャニオン/東芝エンタテインメント

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 サマータイムマシンブルースは、2005年9月3日に公開された日本のどたばたSFコメディー映画。


 もともとは、2001年の劇団ヨーロッパの舞台が原作。この舞台にほれ込んだ、踊る大捜査線の本広克行監督により映画化され、脚本も劇団ヨーロッパの上田誠氏の手によるもの。主演は、アヒルと鴨のコインロッカーの瑛太さん、のだめカンタービレの上野樹里さん。劇団ヨーロッパ所属の俳優も多数出演している。アマゾンや映画サイトの評価では、星★★★★~程度と高い評価を得ている。また、舞台版もDVD化されて人気を博している。


 物語は、とある地方都市の大学のSF研が舞台。SF研とはいっても名ばかりで、SFの意味さえしらない部員たちが夏休みに野球に興じている。夏の部室でぐだぐだ過ごしていたところ、部員同士の悪ふざけによりコーラーをこぼしてしまい、部室備え付けのクーラーのリモコンが壊れてしまう。次の日、そんな彼らの元に突然タイムマシンが現れる。その際の彼らの思いつきとは、昨日に戻って壊れる前のクーラーのリモコンを取って来ること。昨日と今日というスケールの小さいタイムトラベルにより、世界の消滅の危機が訪れるという可能性がでてくることになる…。


 ということで、真夏の大学の部室というむさくるしい空間と、そこにたむろするリア充とはとても言えない、むさくるしい学生たちの巻き起こす、タイムパラドックスをめぐるどたばたをコメディータッチで描いている。時間の移動は、2005年の8月19日と20日の2日間。登場する人物も、SF研に所属する学生5人とそのまわりの数人のみと、原作が舞台劇ということもあって、こじんまりとした一種の密室劇になっている。8月19日の野球のシーンより物語が始まり、その同じ日にクーラーのリモコンが壊れる→次の日20日になぜかタイムマシンが突然現れる→19日に戻って壊れる前のリモコンを取りに行くという流れになっている。タイムマシンがなぜ存在するのか等の説明は無い。リモコンが壊れる前の日に行ってリモコンを取ってきてしまうと、取りに行くはずのリモコン自体がなくなり、壊れることもなくなってしまうため、矛盾が発生してタイムパラドックスが生じてしまうことに気付く。タイムパラドックスによる世界の消滅を阻止するために、19日と20日を何度も往復するという展開になる。


 タイムトラベルやタイムパラドクスをテーマとした作品は多いですが、その代表と言えるのが80年代のバック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ。この作品でも、バック・トゥ・ザ・フューチャーの時計台風の建物が登場したり、色々なオマージュが散りばめられている。海外ものだと、わりとダイナミックに歴史が変わったりして、タイムパラドックスに対しての考え方もわりとおおらか。


 日本でタイムトラベルというと、やはりドラえもん。映画内には、それらしいネタは登場しませんが、のび太君の宿題を終わらせるために、現在のドラえもんが4時間後、6時間後、8時間後のドラえもんを連れてくるという、ドラえもんだらけというエピソードをほうふつとさせるような展開になる。戦国自衛隊とかスケールの大きなタイムトラベルものもありますが、日常のごくミニマムな4畳半のタイムトラベルといったところ。日本のタイムトラベルものだと、歴史を変えてはならないといった感じの、繊細なタイムパラドックス感が多いような気がする。筒井康隆氏や星新一氏のショート、ショートにも似たような展開があったように思います。

 この映画、SF研ということもあるのだろうけど、マニアな小物やオマージュがかなり多い。部室に東宝の特撮映画マタンゴのポスターが貼ってあったり、ガンダムのポスターが貼ってあったり、ガンダムの劇中曲が使われていたりする。タイトーのハリキリスタジアムやヴィダルサスーンという商品名も、印象的なキーアイテムとして使用されている。2005年の学生は、部室でファミコン版のハリキリスタジアムをやったりはしないと思いますが、懐かしい小物が散りばめられている。また、ロケ地が本広監督の出身地である香川県の善通寺市で行われており、四国学院大学という地元の小さな大学を舞台としている。この町が五重塔があったり、いい具合に寂れていたりと、すごく懐かしい独特の感じをこの映画にもたらしている。大学のキャンパスも都会のマンモス大とは異なり、漫画に出てくるギムナジウムのような独特な風景をかもし出している。


 大学が舞台ということで横道世之介のような青春ものを期待してみたが、物語はタイムパラドクスをめぐるどたばたを中心に構成されているため、青春ものという場面はあまりない。最初は、躍動感のない野球のシーンやむさい男たちが戯れあっているのを、わりとたいくつな感じで流してみてしまうのだが、もう一度見直すと最初の19日の時点でいろいろな伏線が張られていたことに気付くという作りになっている。とにかく、脚本が見事な映画、何度か見直して構成を楽しむといった作品になっている。青春映画としてみた場合だと、夏の暑苦しい部室、蝉の声、むさくるしい男友達ということで、話は荒唐無稽なのだが、妙なリアリティを持っている。そのようなむさ苦しい青春に心当たりのあるものにとっては、この映画自体がタイムスリップをさせてくれるタイムマシンということになるのでしょう。


 そういえば、80年代に夏のタイムマシーンという歌がありましたね。ということで、個人的評価は星★★★☆~★★★★。筒井康隆氏や星新一氏のショート、ショートが好きな方、あるいは夏の暑苦しい部室に心当たりのある方にお勧め。

参考:Wiki サマータイムマシーンブルース、本広克行監督、上田誠さんの項

散財日記 in ヨネザワ サイモン Simon

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 ということで、梅雨前の散財日記兼雑記。わりと単調なルーチンワークをやっていて特に変わったことしてないため、あんまり雑記的なネタはないです。散財的にも、何か面白い映画(DVD)が見たいなという程度で、特にほしいものはなかったり。

ヨネザワ サイモン Simon・(中古/米澤玩具) 300円

 オークションで幾つか入札していた中からたまたま落ちてきたもの。サイモン Simonとは、1978年(昭和53年)にアメリカで発売された電子玩具。日本では、米澤玩具(セガトイズの前身)より発売されていた。世界初の家庭用ゲーム機オデッセイを発明した、テレビゲームの父と呼ばれるラルフ・H・ベア(Ralph H. Baer)氏が考案したゲームで、日本だけではなく世界的に有名な玩具。


 数年前にトミーより、スーパーサイモンの名でリメイクもされていた。遊び方は簡単で、赤、青、黄、緑の4つのボタンがランダムに点滅する。それを記憶して、同じ色のパネルを追いかけてタッチするというもの。成功するたびに、新しい点滅が1つずつ増え、間違わずに規定の回数を成功するとクリア。電子ゲームとしても、ごく最初期のものだと思います。


 300円という価格から、動作未確認のため動くかどうかはあやしいのですが、当時ものの保証書や説明書もついたほぼ完全なものでした。今、アメリカですご~い人気という煽り文句からも、まだアメリカが最先端で憧れだった時代を物語る。


 デザイン的にあまりに完成されているため、いくつものリメイクやフラッシュゲームにもなっている。ちなみにリメイクされた新品がアマゾンで買えたりする。この後も、ヨネザワよりサイコムという続編みたいなゲームが出てたり、トミーが米国Parker Brothers社のMerlinというゲーム機をDr.SMITHとして売り出したり、タカトクがゲームロボット九を開発したりと、この種の光と音のゲームは発展を続けます。


 日本でも当時ヒットしたため話題となり、TVCMなども打たれて有名な玩具なのですが、それよりもなによりも世界的に有名な玩具。サイモンでの日本語検索よりSimon Gameで圧倒的な数がヒットする。動画も海外のものがほとんど。80年代の玩具を語るときには外せないものなので、入手できて良かった。でもすごく箱がでかくて邪魔。


 こちらは、もっと詳しく調べてネタとして紹介します。


対戦型テトリス TETRIS・(中古/トミー) 1,000円

 こちらは、1990年にトミーより発売されていた対戦型テトリス TETRIS。テトリスのボードゲーム版。なんじゃこりゃという一品ですが、当時マリオやアレックスキッドのボードゲームがあったり、クレイジークライマーのボードゲームがあったり、ナムコよりドラゴンバスターやドルアーガの塔がボードゲーム化されていたりと、意外とビデオゲームからボードゲーム化されていたものは存在した。


 すごく簡単に言ってしまうと、テトリスを手動で遊んでしまおうという玩具。あのブロックをひとつひとつ手で積み上げていきます。


 実体化したテトリスブロック。


 どうやって遊ぶかというと、交互にルーレットを押して、目として出たブロックを置いていく。


 これは、目の不自由な人も遊べるという盲導犬マークに適合した第一号の玩具。当時の新聞の切抜きがついていた。ちなみにトミーのサイトでもバリアフリーの共遊玩具の取り組みのひとつとして紹介されている。当時、テトリスはゲームボーイを爆発的に普及させた立役者であり、セガと任天堂で権利の争いまで起きたほどの人気振りでしたので、それに触れさせてやりたいという親心を感じます。よくよく考えてみると、目が不自由だと音楽や映画は楽しめてもゲームはほとんど遊べないことに気付く。


 これは、検索してもあまり紹介しているサイトがない。ということで、こちらもまたネタとして紹介します。


ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たち・(中古/エニックス) 280円

 ドラゴンクエストⅦ エデンの戦士たちは、2000年8月に発売されたプレイステーション用のソフト。それまでずっと任天堂ハードで動いてきたドラクエが、スクエアのファイナルファンタジーとともにソニー陣営に参加したことが話題となった作品。発売延期に次ぐ延期で、そうとう待たされたこと、ファイナルファンタジーⅦやⅧが度肝のを抜くムービーを搭載して、映画のような作品を次々と発表していた頃ということもあって、あまり見栄えが変わらない感じがすることから、それほど話題にならなかった。それでも417万本と、プレイステーションで最も売れた作品なのはさすが。


 物語は、たった一つの島しか無い世界が舞台。石版を集めることで封印されていた土地が開放され、あらたな冒険が広がるという作りになっている。今見ると、登場人物の年齢こそ下がっていますが、これまでのドラクエキャラと違ってお洒落。もうこの頃には、すでにドラクエが子供だけのものではなくなってたことと、プレイステーション自体が少し洒落たゲーム機のイメージで売ってたからでしょうか。


 当時、遊んだことはなかった。すごく時間がかかるらしいので。


 ドラクエ共通ですが、売れただけあってオークションでも100円からとプレ値とは無縁なのですが、どうせなら帯付きの完品をということで、この値段。アンケートはがきも付いていた。


 ひとは、誰かになれるというコピーがいいですな。遊ぶ暇は取れそうに無いので微妙ですが、またネタとして紹介します。


アバター Avatar・(中古/20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン) 1円

 アバター Avatarは、2009年に公開されたジェームスキャメロン監督のSF超大作映画。映画館で3D映像により上映されたことでも話題を呼んだ。ロケーションを排除しCGで作り上げられた異世界が見事な作品。


 物語は、衛星パンドラにすむ原住民の民族と、そこへ資源を採掘に来た人間との対立と交流を描いたもの。物語自体は、インデアンと白人男性の交流を描いたダンス・ウィズ・ウルブズだとか、日本人と西洋人との交流を描いたラストサムライだとか、わりとオーソドックスな異文化交流もの。YESのジャケットで知られるイラストレーターのロジャーディーン氏風の世界観をもっており、ロジャー氏と裁判にもなっていたり、ジブリのナウシカやもののけ姫からの影響もいわれている。個人的には、セガサターンのパンツァードラグーンを連想した。


 アマゾンには、手数料の関係で1円のDVDや書籍というのが、結構売られている。1円とは言っても、送料が一律350円なので、ショップで安く売られているものとあまり変わらなかったりはする。で、これはレンタル落ちだか中古ということで買ったのだが、封を切っていない新品が届いた。1円で出品して儲けを出すには、どういうシステムになっているのかはわからないが、1円で新品とはちょっと嬉しかったり。


ハチミツとクローバー・(中古/アスミック・エース 集英社 角川映画) 送料込み580円

 ハチミツとクローバーは、2006年に公開された青春映画。少女マンガが原作で、TVドラマ化されたり、アニメ化されたり、台湾でドラマ化されたりと、大変な人気を誇っている。映画版の主演は、嵐の櫻井翔さんと蒼井優さん。


 美大を舞台にした、割と等身大のキャンパスライフを描いている。まだ全部は見ていないが、すべてがまぶしくてしょうがない時期の空気感みたいなものは、醸し出されているように思う。あまり作り物臭くないというか、すべてが自然。


 こちらも、またネタとして紹介します。ということで、結構珍しいものが、思わぬ金額で落ちてきた散財日記でした。

アバター AVATAR・21世紀フォックスエンターテイメント

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 アバター Avatarは、2009年に公開されたアメリカとイギリスの合作映画。監督は、超大作映画ならおまかせのタイタニックの巨匠ジェームズ・キャメロン監督。


 本作は、3D映像による劇場公開が話題となり、世界興行収入が歴代1位となる27億8800万ドル(約2518億円)を記録。アカデミー賞では9部門、ゴールデングローブ賞では4部門がノミネートされた超大作映画です。表題となっているアバター(avatar)とは、インターネットコミュニティで用いられる、自分の分身となるキャラクターのことを指すのが一般的ですが、元々の語源はサンスクリット語のアヴァターラ(avataara अवतार)で、インド神話や仏教説話の(神や仏の)化身を指す言葉のよう。映画では、MORPGやMMORPGのプレイヤーのように主人公が原住民の種族に憑依して、やがて原住民たちから神の化身として認められる過程を描いていますので、両方の意味を持たせてあるのだと思います。


 物語は、アルファ・ケンタウリ系惑星ポリフェマス最大の衛星パンドラを舞台としている。貴重な資源である希少鉱物を求めて人類がこの星にやってきており、主人公である元海兵隊員のジェイク・サリーは、ある任務のためにこの星を訪れる。この星には、ナヴィという先住民族が住んでおり、彼らの村や彼らが守る神聖な場所である魂の木の下に資源が眠っているため、彼らに立ち退きを交渉する相手役として選ばれたのだ。ジェイクは、人工的に作られたナヴィ族の体に神経を接続させて憑依をするアバターとなって、この星の大地に降り立つ・・・。


 ということで、公開当時3Dの技術が話題となった映画でした。2010年に3Dテレビ、2011年にニンテンドー3DSと、この頃は3Dが大流行で時代のキーワードみたいになっていました。3Dの映画自体は、そう目新しいものではなく、1952年から54年頃にかけても流行したそうです。第2次立体映画ブームだった80年代には、ジョーズ3D、13日の金曜日3Dなんてのも。赤と青のセロファン眼鏡(アナグリフ眼鏡)をかけて、目が疲れてしまうという経験は多くの人が体験しているのでは。ゲームに関しても、84年のトミー 3D立体グラフィックゲーム、87年ファミコン3Dシステム、セガ3Dグラス、95年バーチャルボーイ(VIRTUAL BOY)と、周期的に現れては消える流行でした。この映画の新しかったのは、3D技術を立体的に飛び出させるのではなく、奥行きを表現するために用いたこと。この映画の映像は、すべてがその目的のために構築されているという気がします。


 ジェームズ・キャメロンと言えば、80年代に自身が脚本も書いたターミネーター(84)の大ヒットで一躍有名になり、スペースホラーだった第一作目を180°異なるコンセプトでアクション大作に仕上げたエイリアン2(86)でその地位を不動のものにしました。その後、アビス(89)とかトゥルーライズ(94)とか微妙な時期があったものの、 アバターに抜かれるまで映画史上最高の世界興行収入を記録した97年のタイタニックで、映画史に残る大監督にまで上り詰めました。80年代的には、キャメロン監督のデビュー作殺人魚フライングキラー(81)の前作ピラニア(78)を撮ったジョー・ダンテ監督とどっこいどっこいの知名度(ハウリング 、グレムリン、世にも不思議なアメージング・ストーリー、インナースペースなどジョー・ダンテ監督の方が活躍していた)だったのですが、えらいとこまで上り詰めました。


 80年代を知るものからすると、嘘みたいな活躍ぶり。リアルアメリカンドリームの体現者、監督すごろくの勝者、監督わらしべ長者みたいな感じです。


 ストーリーはさておき、もうひとつ話題となったのが、徹底的にロケを排除し最先端のCG技術で作られたその映像や世界観。全く見たことの無い、異世界を体験させてくれるというだけでも、この映画の価値はあると思うのですが、同時にそのイマジネーションには幾つかの疑問点も言われていました。有名なのが、YESなどのジャケットアートで有名な英国人画家のロジャーディーン氏の描く世界観に影響を受けているのではないかという話。これは、実際に裁判にまでなり、ロジャー氏が敗訴しているようです。スペースハリアーの世界観もロジャー氏の世界観を参考にしているということですから、それだけ氏の世界観が素晴らしいということの裏返しのようでもあります。


 個人的には、セガがセガサターン用に開発したパンツァードラグーン(95)に似ていると思いました。どのような作品も過去の作品よりインスパイアーを受けてイマジネーションを膨らませていて、全くのゼロから世界観が作られるということはありえないわけですから、キャメロン監督はともかくCGクリエーターたちには影響を与えているのではと思います。


 もうひとつ言われたのが、もののけ姫やナウシカなどジブリ作品からの影響。異文化の交流、自然との調和というテーマからは同じような位置にあると思います。他には、白人とインディアンとの交流を描いたダンス・ウィズ・ウルブズ(90)、東洋と西洋の交流をテーマにしたラストサムライ(03)などからの影響が言われている。衛星パンドラの森林との共鳴や原住民ナヴィとの交流の場面などは、もののけ姫をかなり連想させます。キャメロン監督自身が、宮崎監督の映画から影響を受けていると発言しているそうなので、いろんなところからイマジネーションを持ってきて構築されているのでしょう。この映画、ストーリー的にはアメリカ映画らしく勧善懲悪で最後はすっきりと決着を見ますが、対してもののけ姫の方では、アシタカはサンとは一緒に暮らさないし、腕にかけられた呪いも解けておらず何も解決していません。ただ、その方が物語に深みは出たのかなという気はします。


 そうは言っても、この作品の場合ストーリーはこの世界観を見せるためだけにあり、破綻しておらず爽快であれば問題ないという気もします。本来ならば、劇場で3Dの上映を見た後、ショッピングモールなどによって食事やお買い物をするというのが正しい本作の見方であって、映画とは非日常を味わうための週末のイベントのひとつであると考えるなら、そういった意味でやはり映画はこうでなくてはという気もします。もうひとつ、アバターというタイトルや宇宙海兵隊という設定からは、QuakeやHALF-LIFE、Unrealなどの異星人と戦うMMOFPS(ファーストパーソンシューティング)の影響も感じられますが、そもそもこれらの世界観自体が、キャメロン監督のエイリアン2から多くの着想を得ているので、そういったゲームの世界観の実写映画化として楽しむのもありかもしれません。


 ということで、個人的評価は星★★★★。映像だけ、世界観だけなら★★★★★でも良いと思います。


 ということで、古今の映画、ゲームからの影響が一杯に詰まり、新しいのだか古いのだかよくわからない3Dというギミックもありと、楽しさ満載の娯楽超大作と呼ぶのにふさわしい映画アバター Avatarでした。



Wiki:アバター Avatar(映画)、アバター、ジェームズ・キャメロン、殺人魚フライングキラー、立体映画、3Dテレビの項、山口 浩の汚い部屋、遠山式立体表示研究所、映画com 第三の革命 立体3D映画の時代

EPOCH LCD GAME 超時空大迷路・エポック社

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 これは、1989年にエポック社より発売されたEPOCH LCD GAME 超時空大迷路。電子ゲームのブームも去った1990年前後には、液晶を使ったLCDゲームが気軽に遊べる廉価なゲーム機として発売されていた。


 このゲームの特徴をひと言でいうなら、PCの性能の向上やロールプレイングゲームのブームによってこの頃に流行っていた3D迷路の探索を液晶ゲームでも再現したもの。バンダイのCUBE ZONEや、Tiger社によるセガのゲームビジョンシリーズガントレット GAUNTLETなど、液晶ゲームでもより複雑なゲーム性を求められるようになったためか、数社から同じような試みがなされていました。1989年というと、NECの手による8ビット機PC-エンジンが87年、16ビットのセガのメガドライブが88年という時期ですから、単純な電子ゲームなど誰にも見向きもされなくなっていた頃だと思います。ゲームの背景は、敵の超時空立体迷路基地内で繰り広げられるスペースコマンド兵士と怪物イドとの壮絶な対決を描いている。箱絵の雰囲気からすると、宇宙の果ての人の気配すらない無人の迷路をさ迷い歩く悪夢といったところでしょう。地図、レーダー、コンパスを頼りに敵基地内を移動して、ライドセーバーを見つけ出し、怪物イドを倒して迷路を脱出する。禁断の惑星とスターウォーズと超時空要塞マクロスを足して水で割ったような設定。


 スペースコマンド兵士。1990年代近くのこの時点において、この宇宙服はどうなんでしょうか。ここだけ70年代テイストですが、あくまでも子供向けということでしょうか。ライトセーバーが輝いてなく、棒みたいだし。


 なんとなとなく地味なパッケージ裏。1975年に日本で始めてテレビテニスを発売して以来、ずっと日本のテレビゲーム業界を引っ張ってきたテレビゲームの老舗ながら、この時期のエポック社はあまりテレビゲームに力を入れてなかった。後にはファミコンにも参入したけれど、スーパーカセットビジョンでファミコンに挑んで破れてしまったというエポック社の事情も見え隠れします。


 こちらは一応、未使用品。このゲーム、電子ゲーム好きな人には見慣れた一品で、オークションでは未使用品がよく出品されています。あまり売れかなかったのでしょうね。


 84年発売の原辰徳のダイナミックベースボールとか、あの辺のゲームに似た雰囲気。ボタンの配置まで一緒。83年のファミコン発売以降には、ブームの中心がそちらへ移ってしまい、電子ゲームに新規にお金は掛けられなくなったのでしょう。


 怪物イド。ガバリン GOBLIN(HOUSE)とかジャバ・ザ・ハット(Jabba the Hutt)だとか、ゴーストバスターズのスライマー(大食いお化け)だとか、80年代にありがちな雰囲気。イドとは、フロイトの心理学において自我、超自我と並ぶ概念で、快楽原理に基づいて本能のままの欲求を出す精神エネルギーの源泉のこと。イドの怪物とは、映画禁断の惑星から来ていると思いますが、深層心理の迷宮をさ迷い歩くという意味も持たせてあるのかも。


 電子ゲームなんだけど、ちゃんと地図が書けるほど本格的。


 今でいうと、脱出ゲームみたいなものでしょうか。延々と3D迷路をさ迷い歩くあの感覚を電子ゲームで再現している。



 酸素残量という概念もある。アイテムにより酸素を補給しなければならない。また武器を手に入れてパワーアップという、この時期のRPGではお約束も再現。怪物に近づくとアラームで警報がなり、危険を知らせる。そして、ついに怪物イドとの対決。迷路とは別画面で戦闘が繰り広げられる。リザードとかザ・スクリーマーだとか、80年代のPCゲームでは、このように迷路とは別画面でバトルになるものが多かった。


 怪物の手が上下しているところに、タイミングを見て飛び込んでアタックするという、モンスターパニック以来のエポック社の伝統(お約束)は守られている。


 ウィザードリィの影響からか、この頃は3Dの迷路をさ迷い歩くゲームがおお流行りだった。有名どころでは、入門用の和製ウィズとして出たスクエアのディープダンジョン Deep Dungeon、国産初の本格的RPGザ・ブラックオニキス、リアルタイムのダンジョンを実現したダンジョンマスターなど。この超時空迷路は、雰囲気的には人類の滅亡を目論むロボット「マスター・ザイボッツ」の破壊活動を阻止するために立ち向かうアタリのアーケードゲームXybots(87)によく似た感じがする。また8ビットPCでも3D迷路はおお流行りで、作成するのが意外と簡単だったためか、ベーシックで作られた練習用プログラムやベーマガなどの投稿プログラムにもよく見られた。こちらは初期のPC迷路ゲームの雰囲気をよくかもし出すMSXゲームのイリーガス:エピソード4


 映画でもファンタジーものは大人気で、デビッドボウイ主演で、ラビリンス/魔王の迷宮 Labyrinthという迷路を主題とした作品が作られていた。


 フィールドアスレスチックやテーマパークの一種として、巨大迷路みたいなものも流行っていた。こちらは、ソフトバンクのBeep誌で行われた、パックマンやギル、景清のコスプレをして巨大迷路に挑むという企画。


 RPGの流行より生まれたゲームブックにも、当然迷路は含まれていた。これらは、北→20、南→112、東→43、西→9みたいな感じで、言葉によって複雑な迷路を再現していた。それだけにとどまらず魔城の迷宮という、ほぼ迷路だけで構成されたえらくマニアックなゲームブックも存在していた。


 個人的には、当時はこのゲームの存在自体を知らなかった。中古のファミコンショップが乱立していた頃だったので、電子ゲームには目が行かなかった。この頃までには、まだ残っていた個人の玩具店でショーケース内に売れ残ったオイルギャングとかを見つけて、おお懐かしいとすでに電子ゲームは懐古の対象だった。


 ということで、宇宙の果ての超時空の迷路をさ迷い歩く孤独な悪夢を描きつつ、どこか懐かしい感じのEPOCH LCD GAME 超時空大迷路でした。

参考:帰ってきた電子ゲーム、GAME&WATCH ゲームウォッチ カンストへの道、レトロコンピュータピープル 〔別館〕、Beep復刻版/ソフトバンク

アバター AVATAR・21世紀フォックスエンターテイメント

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 アバター Avatarは、2009年に公開されたアメリカとイギリスの合作映画。監督は、超大作映画ならおまかせのタイタニックの巨匠ジェームズ・キャメロン監督。


 本作は、3D映像による劇場公開が話題となり、世界興行収入が歴代1位となる27億8800万ドル(約2518億円)を記録。アカデミー賞では9部門、ゴールデングローブ賞では4部門がノミネートされた超大作映画です。表題となっているアバター(avatar)とは、インターネットコミュニティで用いられる、自分の分身となるキャラクターのことを指すのが一般的ですが、元々の語源はサンスクリット語のアヴァターラ(avataara अवतार)で、インド神話や仏教説話の(神や仏の)化身を指す言葉のよう。映画では、MORPGやMMORPGのプレイヤーのように主人公が原住民の種族に憑依して、やがて原住民たちから神の化身として認められる過程を描いていますので、両方の意味を持たせてあるのだと思います。


 物語は、アルファ・ケンタウリ系惑星ポリフェマス最大の衛星パンドラを舞台としている。貴重な資源である希少鉱物を求めて人類がこの星にやってきており、主人公である元海兵隊員のジェイク・サリーは、ある任務のためにこの星を訪れる。この星には、ナヴィという先住民族が住んでおり、彼らの村や彼らが守る神聖な場所である魂の木の下に資源が眠っているため、彼らに立ち退きを交渉する相手役として選ばれたためだ。ジェイクは、人工的に作られたナヴィ族の体に神経を接続させて憑依をするアバターとなって、この星の大地に降り立つ・・・。


 ということで、公開当時3Dの技術が話題となった映画でした。2010年に3Dテレビ、2011年にニンテンドー3DSと、この頃は3Dが大流行で時代のキーワードみたいになっていました。3Dの映画自体は、そう目新しいものではなく、1952年から54年頃にかけても流行したそうです。第2次立体映画ブームだった80年代には、ジョーズ3D、13日の金曜日3Dなんてのも。赤と青のセロファン眼鏡(アナグリフ眼鏡)をかけて、目が疲れてしまうという経験は多くの人が体験しているのでは。ゲームに関しても、84年のトミー 3D立体グラフィックゲーム、87年ファミコン3Dシステム、セガ3Dグラス、95年バーチャルボーイ(VIRTUAL BOY)と、周期的に現れては消える流行でした。この映画の新しかったのは、3D技術を立体的に飛び出させるのではなく、奥行きを表現するために用いたこと。この映画の映像は、すべてがその目的のために構築されているという気がします。


 ジェームズ・キャメロンと言えば、80年代に自身が脚本も書いたターミネーター(84)の大ヒットで一躍有名になり、スペースホラーだった第一作目を180°異なるコンセプトでアクション大作に仕上げたエイリアン2(86)でその地位を不動のものにしました。その後、アビス(89)とかトゥルーライズ(94)とか微妙な時期があったものの、 アバターに抜かれるまで映画史上最高の世界興行収入を記録した97年のタイタニックで、映画史に残る大監督にまで上り詰めました。80年代的には、キャメロン監督のデビュー作殺人魚フライングキラー(81)の前作ピラニア(78)を撮ったジョー・ダンテ監督とどっこいどっこいの知名度(ハウリング 、グレムリン、世にも不思議なアメージング・ストーリー、インナースペースなどジョー・ダンテ監督の方が活躍していた)だったのですが、えらいとこまで上り詰めました。


 80年代を知るものからすると、嘘みたいな活躍ぶり。ロジャー・コーマンの下でB級映画を撮ってたのに、リアルアメリカンドリームの体現者、監督すごろくの勝者、監督わらしべ長者みたいな感じの人です。


 ストーリーはさておき、もうひとつ話題となったのが、徹底的にロケを排除し最先端のCG技術で作られたその映像や世界観。全く見たことの無い、異世界を体験させてくれるというだけでも、この映画の価値はあると思うのですが、同時にそのイマジネーションには幾つかの疑問点も言われていました。有名なのが、YESなどのジャケットアートで有名な英国人画家のロジャーディーン氏の描く世界観に影響を受けているのではないかという話。これは、実際に裁判にまでなり、ロジャー氏側が敗訴しているようです。スペースハリアーの世界観もロジャー氏の世界観を参考にしているということですから、それだけ氏の世界観が素晴らしいということの裏返しのようでもあります。


 個人的には、セガがセガサターン用に開発したパンツァードラグーン(95)に似ていると思いました。どのような作品も過去の作品よりインスパイアーを受けてイマジネーションを膨らませていて、全くのゼロから世界観が作られるということはありえないわけですから、キャメロン監督はともかくCGクリエーターたちには影響を与えているのではと思います。


 もうひとつ言われたのが、もののけ姫やナウシカなどジブリ作品からの影響。異文化の交流、自然との調和というテーマからは同じような位置にあると思います。他には、白人とインディアンとの交流を描いたダンス・ウィズ・ウルブズ(90)、東洋と西洋の交流をテーマにしたラストサムライ(03)などからの影響が言われている。衛星パンドラの森林との共鳴や原住民ナヴィとの交流の場面などは、もののけ姫をかなり連想させます。クリオネみたいな森の精霊が登場し、森全体に生命が宿る八百万の神みたいな世界観なんですね。キャメロン監督自身が、宮崎監督の映画から影響を受けていると発言しているそうなので、いろんなところからイマジネーションを持ってきて世界が構築されているのでしょう。この映画、ストーリー的にはアメリカ映画らしく勧善懲悪で最後はすっきりと決着を見ますが、対してもののけ姫の方では、アシタカはサンとは一緒に暮らさないし、腕にかけられた呪いも解けないままで何も解決しません。ただ、そのように余韻を持たせた方が、物語に深みは出たのかなという気はします。


 そうは言っても、この作品の場合ストーリーはこの世界観を見せるためだけにあり、破綻しておらず爽快であれば問題ないという気もします。本来ならば、劇場で3Dの上映を見た後、ショッピングモールなどによって食事やお買い物をするというのが正しい本作の見方であって、映画とは非日常を味わうための週末のイベントのひとつであると考えるなら、そういった意味でやはり映画はこうでなくてはという気もします。もうひとつ、アバターというタイトルや宇宙海兵隊という設定からは、QuakeやHALF-LIFE、Unrealなどの異星人と戦うMMOFPS(ファーストパーソンシューティング)の影響も感じられますが、そもそもこれらの世界観自体が、キャメロン監督のエイリアン2から多くの着想を得ているので、そういったゲーム世界の実写映画化として楽しむのもありかもしれません。


 ということで、個人的評価は星★★★★。映像だけ、世界観だけなら★★★★★でも良いと思います。古今の映画、ゲームからの影響が一杯に詰まり、新しいのだか古いのだかよくわからない3Dというギミックもありと、楽しさ満載の娯楽超大作と呼ぶのにふさわしい映画アバター Avatarでした。



Wiki:アバター Avatar(映画)、アバター、ジェームズ・キャメロン、殺人魚フライングキラー、立体映画、3Dテレビの項、山口 浩の汚い部屋、遠山式立体表示研究所、映画com 第三の革命 立体3D映画の時代

日本懐かし10円ゲーム大全/岸昭仁・辰巳出版

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こちらは、辰巳出版よりタツミムックとして2015年6月に発売された日本懐かし10円ゲーム大全。


 著者は、駄菓子屋ゲーム博物館の館長である岸昭仁氏。この方、テレビやマスコミなどにもよく登場しますので、おなじみだと思います。駄菓子屋やデパートの屋上、寂れた観光施設などに置いてあった、10円玉やコインを使用して遊ぶエレメカ系のゲーム機を集めた一冊。帯の推薦文は、よゐこの有野氏。この本、出る前から、結構あちらこちらで話題になっていました。


 日本懐かしの自販機大全が好評だったことから、タツミムックより続編的な位置付けで発売されたみたいです。この他にも、日本カセットテープ大全だとか、日本懐かしアイス大全だとか、シリーズ化する予定のよう。今はネットで情報が簡単に取れますから、雑誌が売れないといわれる時代になっていますが、このようなディープなネタは、ネットだけでは集められません。また、ネット上の情報は、いつかは消えてしまいますので、保管しておきたいというニーズにも合致しているのかもしれません。辰巳出版さん、良い所を突いてきます。


 駄菓子屋ゲームの代名詞といわれる新幹線ゲームの紹介から。貴重な内部の構造まで紹介されています。これ、景品の払い戻しのための機構を動かすために、実は電気使うんですね。岸昭仁氏は、探偵ナイトスクープで子供が新幹線ゲームを自作したいというネタの回にも出演されて、内部構造を解説されていました。


 こちらは、同じく岸昭仁氏が監修を務め、バンダイより2010年に発売された駄菓子屋ゲーム貯金箱。新幹線ゲームを遊べる貯金箱に仕立てています。販売中は2,980円くらいの玩具でしたが、生産中止になってからは10,000円近い値段で取引されている。


 メダルゲームの代名詞、コナミのピカデリーサーカス。こちらはコナミ工業の製造で、レジャック株式会社より販売された。ピカデリーサーカスにも、貯金箱は存在した。コナミ自らの手によって作られているため(株式会社コナミデジタルエンタテインメント 2007年発売)、えらく出来がよい。同じくコナミのメダルゲームである国盗り合戦貯金箱も出る予定で、試作品までお披露目されていたのだが、ピカデリーサーカス貯金箱が思うように売れなかったのか発売中止になってしまった。こちらも、今では10,000円近い値を付けている。


 書籍には、これらの有名なものだけでなく、一般的には見たことも無いようなマイナーなものまで網羅されている。読んだ感想としては、この本も立ち位置的には日本懐かし自動販売機大全と同じような匂いのする一冊だと思います。昔にぎやかだったけど、今は忘れ去れて寂しい場所という共通点がある。


 駄菓子屋ゲーム博物館の館長の手によるものなので、10円ゲームのハード本体や、業務用ゲーム機のカタログなどは、かなり見ごたえがある。これらは歴史(記録)には残らず、じきに埋もれて消えていくものなので、資料として残したいというのが、この本を書かれた動機のようです。考現学的な意味合いからは、時代の風俗資料のひとつとして残す価値があると思うのですが、10円ゲームに特化してまとまった形で残るというのが、特に大きいよう思います。メーカー自体も小さなところが多いので、このような本でなければ、これらの記憶は失われてしまう。


 またゲーム機だけではなく、駄菓子屋、デパートの屋上、行楽地の遊戯施設など、この種のゲームがおかれていた場所も紹介されていて、施設オーナーへのインタビューや著者との対談記事もある。これらの場所も、ゲーム機と同じく、静かに消えていこうとしている。これらの場所は、記憶には残るけれど記録には残らない。それを記録し、保存するための資料という意味でも、たいへん貴重な一冊だと思います。辰巳出版さんには、日本懐かしデパートの屋上大全とか、日本懐かしエレメカ大全とかを期待したい。


 ということで、駄菓子屋好き、デパートの屋上好きだった昔の自分に送りたい一冊、日本懐かし10円ゲーム大全でした。


 これも10円ゲームの代表格、こまやが1981年に発売した山登りゲーム。

参考:日本懐かしの10円ゲーム大全/岸昭仁・辰巳出版

ピカデリーサーカス貯金箱・コナミデジタルエンタテインメント

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 これは、2007年にコナミデジタルエンタテインメントより発売された、ピカデリーサーカス貯金箱。70年代にコナミ工業が製造して、レジャック株式会社が販売した、全国の駄菓子屋やデパートなどに置いてあったメダルゲームを貯金箱として復刻したもの。


 ピカデリーサーカス(Piccadilly Circus)とは、イギリスのロンドンにある広場の名前のようです。劇場やネオンサインなど、観光やエンターテインメント施設で有名なところで、その華やかなイメージからとられたネーミングなのでしょうか。コナミの前身であるコナミ工業(販売は系列のレジャック株式会社)から、1976年に発売されました。ゲーム内容は、コイン(10円玉)を投入して、好きな数字にBETしスタートボタンを押すとルーレットが回って、当たりに応じてコインや景品が払い戻されるというおなじみのもの。駄菓子屋やデパートの屋上などに置いてあった10円ルーレットの代表格と言えるものでした。その懐かしいゲームが、コナミ自らの手によって貯金箱として甦った。


 パッケージ裏面。


 貯金箱なので、500円玉で最大10万円まで貯金が可能と書かれている。


 箱の側面には、元ネタとなったピカデリーサーカスの解説もしてある。


 当たりの払い出しは、硬貨と景品の選択ができる。


 取り扱い説明書。付属品は、これと盤面に貼るシールが付いている。


 こちらが本体。結構、大きくて本格的。元ネタとなったピカデリーサーカスのイメージをうまく再現している。模型ではないので、硬貨投入口や景品の払い出し口など、細部は異なる。部屋のディスプレイとしても見栄えがする。


 2007年発売当時の実売価格は、3,000円台でした。当時のエレメカのディティールを再現し、なおかつそのギミックまで再現された、これほど凝ったものが、この価格で買えたというのはなかなか凄いこと。数あるギミック付き貯金箱の中でも、突出した出来の良さではないでしょうか。今現在だと、アマゾンで1万円前後、オークションだと5~6,000円程度の相場で落札されている。販売当時は、クリアランスで1,000円くらいで売られてたりもしましたので、数は相当数出ていると思われます。


 背面に仕切り版を入れることによって、当たりの払い出しをお金かお菓子などの景品かの選択ができる。


 景品の投入口。飴とかキャンデーとかを入れられる。


 単三電池3本で動く。


 お金の投入口は上面に付いている。コインのセレクト機能はなく、サイズが合えばどのコインでもいける。投入口に白く見えるものが、コインの投入を感知するセンサー。これが、コインをBETする機構のスイッチになっている。


 コインを投入し、どの目に光のルーレットが止まるか予想し賭けていく。


 当たると一度に払い戻されるため、当たった枚数だけ払い戻すという複雑な機能は付いていない。よって、この辺りは雰囲気の再現ためのもの。それぞれ押した数だけランプが点滅するようになっているというだけでも凄い。


 入れた枚数分のBETが終了すると、ルーレットが回りだす。ちなみにルーレットが回るサウンドも、それらしいものが再現されている。


 ルーレットの目がBETしたところに止まると、下部の蓋がパカっと開いて、景品か硬貨が払い出される。景品が出たり硬貨が払いだされるのは、当たったか、当たらないかというだけの判定なので、元々のルーレットの持つギャンブル性は再現されていない。一応、モードが3つ設定でき、①当たった枚数と同じ数のランプが点灯して、回転盤に1周のランプが点灯すると扉が開くモード。②当たった枚数の半分のランプが点灯、回転盤1周分のランプが点灯すると扉が開くモード。③当たると必ず扉が開くモードがあり、この中から選べる。


 オリジナル版のピカデリーサーカスは、ヒット作となったため、長いこと作られていた。そのため数多くのバリエーションが存在する。おなじみのこのタイプ以外にも、ドックファイトファンタジーワールド、ライオン、スーパーマリオブラザーズ3など時代によって幾つかのバージョンが存在する。ちなみに最近のバージョンでは、ピカデリー2000というのもあった。イラストなどは時代に合わせてアレンジされているようですが、基本的な遊び方は不変のようです。ちなみに復刻なった貯金箱でも4種のシールが付属しており、購入者の思い出の中にあるバージョンを再現できるようになっている。(ピカデリーサーカスの「サーカス」は通りの合流点の円形地の意味のようですが)個人的には、ライオンのバージョンが印象深いでしょうか。


 ちなみに元ネタのピカデリーサーカスも、純粋に確率だけのルーレットではなく、払い出し用のコインが少なくなると当たらなくなるなどの、確率調整ができたそう。どうやったら当たるか、ルーレット盤の目の数を数えたり、対角線上の位置にかけたり、当時あれこれと必勝法が考えられた。


 2006年頃から貯金箱ブームというのが起こっていたそうで、この当時はザラスなどに貯金箱のコーナーが設置してあったりして、キャラクターものから電子ゲームを組み込んだものなど、様々なギミックをもった貯金箱が販売されていました。そのような流れと、この頃の復刻ブームにより企画されたものなのでしょう。コナミ自ら(コナミデジタルエンタテインメント)の手により復刻されていますので、ある意味コナミ純正品。ただ、非常に残念だったのは、同じくコナミのメダルゲームである国盗り合戦貯金箱も出る予定で、試作品までお披露目されていたのだが、ピカデリーサーカス貯金箱が思うように売れなかったのか発売中止になってしまった。


 こちらは、コインを弾いてゴールまで運ぶという新幹線ゲームを再現した、駄菓子屋ゲーム貯金箱。駄菓子屋博物館の館長、岸昭仁氏の監修でバンダイより発売された。同じ時期に、タカラトミーよりスペースインベーダーのテーブル筐体を再現した貯金箱も出ていた。いまはUFOキャッチャー(クレーンゲーム)の玩具なども売られていますし、ビデオゲームの筐体を再現したコレコの電子ゲームなどと並べたりすれば、結構楽しいかもしれません。


 ピカデリーサーカスの登場した昭和50年代というのは、駄菓子屋ブームだったのだそうです。80年頃からはビデオゲームが置かれはじめ、駄菓子屋ゲームセンターのようになっていました。個人的には、駄菓子屋のイメージはクレージーコングやフロッガー、駄菓子屋用の小さな筐体でのスクランブルやSNKのファンタジーだったりして、ピカデリーサーカスは寂れた観光地や、デパートの屋上(エレベーターの側など隅っこ)というイメージがある。それにしても、そういう味のある場所もだんだん少なくなってきて、玩具として記憶に残るのみというのも寂しいことですね。



※2008年の記事に写真などを追加して再構成。

参考:駄菓子屋ゲーム博物館、ASCII.jp 懐かしーい! 駄菓子屋'sギャンブル「ピカデリーサーカス」型の貯金箱が出た!

さんだる/たま・日本クラウン

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 さんだるは、1990年に日本クラウン(クラウンレコード)より発売された、たまのメジャーファーストアルバム。たまは、90年代に活躍した日本のバンド。


 たまは、4人組編成の日本のロックバンドで、フォークや童謡などを織り交ぜた幻想的な世界観を持ったバンド。テレビに出る前から、インディーズではすでにメジャーな存在になっており、89年に話題となった平成名物テレビ・三宅裕司のいかすバンド天国に出演したことをきっかけにして、メジャーデビューを果たした。スタイルは、ちゃんちゃんこに下駄履きでウクレレやマンダリンを弾き、ランニングシャツ姿で風呂桶などを叩くといった、当時一般的だったロックバンドからは一線を画した、あまり一般受けはしない個性的なものだった。デビュー曲のさよなら人類が、オリコン初登場1位、同年のオリコン年間シングルチャートでは4位を記録するヒットとなり、累計売上約60万枚を売り上げ、CMへの出演や日本レコード大賞新人賞、紅白歌合戦出場も果たす。92年頃からはバンドブームも下火になり、95年にボーカルやピアノなどを担当してきた柳原幼一郎氏が脱退、ちびまるこちゃんのエンディング曲を手がけたり、NHKみんなの歌に楽曲を提供したりと、その後も3人で活動を続けていたが2003年に解散した


 さんだるは、そのたまの(メジャー)ファーストアルバム。オリコンチャートでは、最高2位、年間アルバムチャートで35位を記録した。たまは、インディーズ自体も含め、何枚もアルバムを出しているのですが、やはり一般的に有名なのは、最も売れたこれでしょう。大ヒットとなったさよなら人類/カップリング曲のらんちゅう、CM曲としても使われたオゾンのダンス、方向音痴、イカ天の4週目で披露されたロシヤのパンなど有名どころが並んで収録されている。個性的なたまらしく、装丁も紙製のボックスジャケットと個性的なもの。表紙の昆虫のイラストは、ギターやボーカル担当の知久寿焼氏によるもの。


 ジャケット裏。売れまくっていた頃なので、すっかりアイドル。


 白黒のポートレートが付いており、裏が歌詞カードになっている。さよなら人類やオゾンのダンスなど、明るいポップな曲調のものが多かった柳原幼一郎氏、たまのランニングとして有名な石川浩司氏とトレードマークの風呂桶パーカッションセット、知久寿焼氏は今見ると美少年でまるでアイドルの様、たまの寡黙な2枚目担当で、所属事務所たま企画室の社長も勤めた滝本晃司氏。


 当時の思い出としては、イカ天初登場時に前知識も何もなく視聴していた。第1週目はシュールならんちゅうで、この頃のイカ天に数多くいたコミックバンドとしか認識しなかった。第2週目のさよなら人類で凄いバンドだと気付き、3週目オゾンのダンスで気に入ったバンドとなり、4週目ロシヤのパンのノスタルジックな世界観のとりことなり、5週目のまちあわせでマルコシアスバンプとの接戦に見入った。イカ天初登場時は、最初は変な人たち扱いであったが、週が進むに連れ審査員の評価も変わっていった。実際は、テレビ登場以前からすでにインディーズでは有名だったたまが、番組サイドから請われる形で出演したもので、その実力も最初から他の素人バンドとは比較にならないものだった。著名なルポライターの竹中労氏は、彼らをビートルズの再来とまで評価し、(癌に侵された)晩年の仕事としてたまの本を書いた。4人ともビートルズ好きは共通しており、この時期柳原氏が宮沢賢治の世界に傾倒していたそうで、あのシュールで独特なノスタルジー感溢れる音楽の源泉の一端がその辺りから来ていたのだと、最近になって知った。


 たまがメジャーデビューをしてブームとなってからの狂乱の日々は、たまのランニングこと石川氏の自叙伝「たま」という船に乗っていたで知ることが出来る。石川氏のHPでは、出版社の許諾を得て、この本を公開しているため無料で読むことが出来る。それにしても石川氏、現在では大林宣彦監督のこの空の花 -長岡花火物語に(放浪の画家)山下清役で出演されていたり、その縁で次作の野のなななのかの楽曲を担当(パスカルズとして)されていたり、パスカルズの一員として知久寿焼氏とともに海外公演をされていたり、西荻窪でニヒル牛というアートギャラリーを運営されていたりと、様々な活躍をされています(コレクターとしての顔もお持ち)。当時は、たまのランニングとかコミカルなイメージが強かったですが、実に多彩な才能の持ち主だったんですね。

参考:Wiki たま(バンド)、さんだる、柳原幼一郎、知久寿焼、石川浩司、滝本晃司、竹中労の項、石川浩司のひとりでアッハッハー

バタアシ金魚・ビクターJVC/講談社

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 バタアシ金魚は、80年代後半にヤングマガジン誌に連載されていた望月峯太郎原作の同名の漫画を原作とする、1990年に公開された青春映画。監督は、トイレの花子さん、東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜、深夜食堂などの松岡錠司監督。


 2001年にウォーターボーイズが登場するまでは、プールや水泳部を主題とした夏を題材とする青春映画の筆頭だったといってよい一本。以前一度紹介していますが、DVD版を入手したので、夏に見たいお約束映画として再度紹介。物語は、高校の水泳部が舞台。主人公カオル(筒井道隆)は水泳部のソノコ(高岡早紀)に一目ぼれをする。そこで彼女の気を惹くために水泳部に入部する。思い込みの激しいカオルは、断られてもめげず、ソノコを追いかけていくが…。


 70年代には、巨人の星やあしたのジョー、エースをねらえ、ドカベンなどスポーツ根性漫画がブームとなりましたが、80年代に入ると時代の変化とともにうる星やつら、タッチなどのラブコメ全盛期になります。スポーツ漫画も、根性で勝つことを目的としたものから、タッチ、ラフ、キャプテン翼、スラムダンクなどのように、恋愛、友情まで含めて学園生活の全般を描くスマートなものになっていきます。ブームとなったタッチの終了と前後して、85年に連載を開始したバタアシ金魚の時代ともなると、もう一ひねりあってラブコメといっても単純な恋愛ものではないし、スポーツを題材にしているといっても単純に勝利を目的としたものでもないといった具合に変化していきます。


 原作の方は、ほとんど忘れているのため、どれくらい原作のエピソードが再現されているかわかりませんが、映画のほうも原作を反映してか、水泳競技の場面は出てくるのだけれども、特にそれに執着するわけではなく、恋愛ものといっても(今だったらストーカー扱いされそうな)カオルがソノコに一方的に付きまとう展開になっており、しかも情熱的にソノコを追いかけつつも、カオルにはプーという彼女がいたりするなど、この時代らしくちょっとひねった物語になっている。対するソノコの側も嫌がりつつもライバルの永井(東幹久)を当て馬にしたり、過食症のようにドカ食いをしてストレス激太りをしたりと、単なるアイドル映画としては片付けられない、ある種のリアルさを持っています。このような流れの中で、カメラはこの年代特有の微妙な心の動きと駆け引きを丹念になぞっていきます。


 当時の書籍の映画評に青の映画という評価がありましたが、とにかく空の青、水の青、プールの青と、青が作品世界を表現するキーワードになっているかのよう。ちょっとシュールなくらいに、常に自信満々で自意識過剰なくせに口ばかりの主人公を描いており、誰しも経験のある思い通りにはならない青春の不条理を描いた作品でもあるのですが、この不条理で不合理なストーリ展開がラスト前のプール内での格闘シーンへと繋がり、それぞれの想いは吐き出され表現されて、そこにラストシーンのカタルシスが生まれている。


 今では中堅俳優となった筒井道隆さんのデビュー作。この後、あすなろ白書などトレンディ俳優として人気を博した。他にも浅野忠信さんのデビュー作でもあり、若き日のかわいらしい浅野氏の姿が見れる。また、売れる前の若き日の東幹久さんも出演している。


 原作のソノコは、スリムに描かれているためイメージとしては少し異なる高岡早紀さん。ミスマガジンということで、ヤングマガジン繋がりで選ばれたよう。ビクターJVCのCMなどにも登場していた。とはいっても、この映画の魅力は8割方この人にあると言ってよい。


 こちらは、当時もののVHS版。だいたい同年代で、当時リアルタイムにこの作品を見たけれど、その時には随分と共感できた。さすがに、今となっては共感しづらいわからない部分も増えたのだが、今回再視聴して感じたのは、バイクで疾走するシーンなど時代の空気感がよく出ているということ。この頃はバイクブームだったので、原作にもバイクは登場しており、高校生などがバイクに憧れたり、バイクの話題で盛り上がることも普通だった。また、(カオルや永井など主人公周辺は異なるが)学生服などのシルエットもこの時代らしく、ちょっと太めのものが見られる。それから、空や夏の雲、プールの水面、虹、新興住宅地の風景、都市モノレールなど、印象的な映像が多い。松岡監督のインタビューを読んでいたら、これはハッとした瞬間を見つけたら、その場ですぐに撮影をするという手法によって撮られており、監督が来る前にカメラマンが勝手に風景を撮っていたものもあるのだとか。そのようにして、時代の空気(瞬間)を切り取ったものが収められ、封じ込められている。


 アマゾンや映画サイトでの評価は、星★★★★くらい。日本アカデミー賞、ブルーリボン賞、報知映画賞を受賞しており、邦画の青春映画としては、単純にアイドル映画として以上の評価がなされている作品だと思います。ウォーターボーイズは未視聴のためわかりませんが、個人的には、未だに夏の映画のベスト。80年代には、角川映画全盛期ということもあって翔んだカップル、セーラー服と機関銃、時をかける少女、転校生、さびしんぼう、アイコ十六歳、台風クラブ、家族ゲーム、パンツの穴など、名作といわれる青春映画がたくさん作られましたが、個人的にはこれが一番の夏の映画だと思います。


 ということで、夏の一瞬を切り取って封じ込めたような作品、バタアシ金魚でした。



参考:Wiki バタアシ金魚、松岡錠司さん、筒井道隆さん、浅野忠信さんの項、シネマジャーナル 松岡監督監督インタビュー

ガチ☆ボーイ・フジテレビジョン/ポニーキャニオン

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 ガチ☆ボーイは、2008年に公開された日本の青春映画。監督は、タイヨウのうたの小泉徳宏監督。


 舞台は、北海道にある大学のプロレス研究会。いまいち盛り上がっていないプロレス研究会にある日、入部希望者がやってくる。名前は、五十嵐。学際で行われた、プロレス研究会の試合を観戦していて感激し、自分も学生プロレスをやってみたいと思ったらしい。入部希望者は、五十嵐一人だったため、弱小プロレス研究会としては暖かく迎え入れてくれる。しかし、彼は活動風景をいちいち写真に収め、何かやるたびひとつひとつメモを取るという変わった行動を見せる。どこか違和感を感じる部員たちであったが、そこには彼のある特殊な事情が関わっていた…。


 フジテレビが製作したということもあってか、出演者がこの時期の旬の人を集めていてえらく豪華。主演は、海猿やROOKIESで人気者となった佐藤隆太さん。弱小プロレス研究会を率いる正義感の強いリーダー役に向井理さん、主人公を理解してくれるヒロイン役にダルビッシュの元奥さんであるサエコさん、五十嵐の妹役に仲里依紗さん、父親役に泉谷しげるさん、部OBでバーを経営しておりリングアナを兼ねる先輩役に宮川大輔さん、みちのくプロレスが監修やレスリング指導をしており、現役のレスラーたちも出演しています。元々は、話題となった舞台が原作のよう。


 プロレスという男臭い題材を扱っていながらも、ちょっとポップな感じ。


 この映画の鍵となるのは、主人公の五十嵐が司法試験の一次試験に通るほどの秀才でありながら、事故による高次脳機能障害で新しいことが覚えられなくなっているということ。彼は、一晩寝ると一日あったことを全て忘れてしまうため、写真を撮り、メモに取り、朝起きると同時にそれらのメモを全て読み返して、昨日と同じ生活を継続している。そのため、プロレスの段取りがなかなか覚えられずに常にガチで挑んでしまうことから、ガチボーイということになる。彼を理解してくれるヒロインも、彼女としてではなく告白して振られたことを忘れて何度でも告白してしまうという、この設定をより際立たせるための位置付けとなっている。


 彼は、失敗を繰り返しながらもまりりん仮面というリングネームで人気者となる。これを利用しようとする、北海道学生プロレス連合のライバル役シーラカンズとのガチンコ勝負が物語のクライマックスとなる。これは、本職のプロレスラーの指導を受けながら、役者さんたちが実際に体を張ってプロレスの試合を演じており、それがプロレスの持つ楽しさを伝えてくれるものとなっている。また、リーダー役の向井理さんをはじめとして、出てくる人々がみんな良い人ばかりなので、学生サークルの独特のぬるいほんわかとした関係性が伝わってきて、プロレスという暑苦しい題材を取りながらも、とても爽やかな青春映画となっている。


 80年代から90年代に掛けては、プロレスはテレビのゴールデンの時間帯で放送されていました。アントニオ猪木やジャイアント馬場、タイガーマスクや長州力、スタンハンセン、ブルーザーブロディ、ハルクホーガンといった綺羅星のようなスター選手が登場して盛り上がりを見せた。80年代の終わりから90年代にかけては、前田日明、藤原喜明、高田延彦などの格闘技色の強いUWFという団体も生まれ、新しいプロレスの流れも生まれた。その後、趣味の多様化やミスター高橋、高田延彦のプロレスの内情を書いた本の影響などもあって、プロレス人気もしだいに低下していったが、このガチ☆ボーイが公開された時期というのは、総合格闘技のK1やPRIDE、エンターティメント色の強いハッスルなどがブームの頃で、再びプロレス人気が盛り上がっていた。大晦日に紅白の裏番組で格闘技の試合が放映されるなど、ある意味80年代頃の黄金期に近い輝きをプロレスが見せていた時期だったのかも知れません。


 個人的には、泉谷しげるさんの演じた親父さんが良かった。昨年、遠方に出かけた際に友人の親戚宅に留めてもらう機会があったのだが、そこの親父さんが俳優の卵である息子の活躍をiPadで、繰り返し繰り返し眺めていた。その息子さんはすでに30を超えており、しかも地方都市なので俳優で身を立てていくことは困難だと思われたが、子を思う親の気持ちがとてもよく伝わってきた。この親父さんは自営業だったので、いざとなったら継がせればよいという気持ちもあるだろうが、もうからないのであまり積極的には考えてなかった。五十嵐の実家も寂れた銭湯で、客は入らないが彼が食っていくために継がせようとしている。司法試験に通った五十嵐は期待の息子だったわけで、事故でそれらは失われてしまった。失望しつつも、プロレスをしている息子を静かに見守っている泉谷氏の演ずる寡黙な親父さんを見て、そんなことを思い出していた。


 学生プロレスという、一見男臭くて暑苦しそうなテーマを扱いつつ、実は見終わった後に爽やかな余韻を残す夏の青春映画です。ということで、個人的な評価は星★★★☆(70点)。良い意味で期待を裏切ってくれた、暑い夏に見たい映画ガチ☆ボーイでした。お勧め。



参考:Wiki ガチ☆ボーイ、小泉徳宏監督、佐藤隆太さん、サエコさん、向井理さんの項

散財日記 in ブラックレーサー

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 ということで、久々の散財日記&雑記です。特別忙しいというわけでもないのですが、用事が入っていてあまり更新ができない。また特に節約しているわけでもないのですが、あまり物を買うということもなくって、アマゾンで1円のDVDを物色するくらいしか欲しいものがない。ただ、久々の大物をオークションで落としましたので、引き続き早めに紹介する予定です。

ブラックレーサー・(中古/トミー) 1,000円

 ブラックレーサーは、タカラと合併する前のトミーより、1978年(昭和53年)に発売されたゲーム機。LSIを使った電子ゲームではなく、モーターやギアを駆使したいわゆるエレメカの一種。電子ゲームがブームになるちょっと前に、このような電子ゲーム(テレビゲーム)風のエレメカというのがちょっと流行りました。当時の価格は2,980円。5,000~6,000円が主流だった電子ゲームと比べても、リーズナブルで手に入りやすいということから、当時は大変なヒット商品となったようです。


 オークションなどにエレメカが出てくる場合、なかなか不動品が多い。LSIで制御されてる電子ゲームと比べても、モーターやギアなどで物理的にゲームを制御しているためか経年劣化が出易いのでしょう。この手のエレメカはそれほど値段も高くなりませんが、1,000円~3,000円といったところ。あまり綺麗なものではありませんが、一応動作品なので、この価格はまあまあ掘り出し物の部類。


 フイルムに自動車が印刷されており、モーターの力でフイルムを動かすことにより、レースゲームを再現している。ギアの切り替えもあり、2車線の道路上に車が並んで避けられなくなった場合、ギアを変えてやることで左右のフイルムのスピードが変わってきて、それによってライバル車を避けられるという仕組み。


 タイトーのスピードレースとか、初期のレースゲームを再現している。ただ、ギアとモーターだけで制御している関係で単純。子供でもLSIを使った電子ゲームではないということはわかりますので、すぐ飽きてしまっていた。今となっては、アイクスクリームやゼリーなどについてくるプラスチック製のスプーンみたいな透明の板に書かれたレーシングカーが、キッチュで実にいい味を出している。


 ただし、当時はかなり売れた有名なゲーム機ですから知名度は抜群で、思い出の中にこれが登場する人は、結構多いのではないかと思います。もう少し、詳しく調べてからネタとして紹介します。


クラブニンテンドー特典 ゲーム&ウォッチコレクション・(中古/任天堂) 500円

 クラブニンテンドーは、任天堂のポイント制の会員サービス。そこで、ポイントを溜めることによってもらえる特典のひとつ。任天堂DSでゲームウォッチが遊べます。好評だったのかゲーム&ウオッチコレクション2も存在する。


 ゲームウォッチのオムニバスソフトは、ゲームボーイカラーでもゲームボーイギャラリーとして販売されていた。


 一般に売られているものではなくて景品なので、取り扱い説明書も一枚の紙を折ったものとかなりシンプル。


 ドンキーコング、オイルパニック、グリーンハウスが収録されている。本体に非売品と明記されている。この特典で一番目を引いたのが、ゲーム&ウォッチのボールそのものを復刻した復刻版でしたが、これもなかなか良い。また、オークションでは、意外と安い値段で取引されていたりもする。もっとも、一番の問題点といえば、任天堂DS自体を持っていないことなんだけど。


COLLECTABLE TECHNOLOGY・(非再販本/トランスワールドジャパン) 600円

 COLLECTABLE TECHNOLOGYは、2006年に発売された大型本。内容は、オールドコンピューター、ゲーム機などのレトロなデジタルグッズを収録した写真集のようなもの。イギリス人の手によるもので、発売当時の帯には、日本限定3000冊の文字が躍っていた。発売当時3,000円程度で売られていたが、売れ残りが多かったのかアマゾンで非再販本が売られている。非再販本とは、店頭に並べられた後で、出版社へと返却されてきた本のことで、未使用品だが破れがあったり、帯などが破損していたりするような本のこと。このくらいの価格なら、ということで購入してみました。


 アップルⅡなどのオールドコンピュータにとどまらず、時計や電話、テレビ、ウォークマンなどのレトロなデジタル製品が広く収録されている。必ずしも、希少な物、有名な物が収録されているとは限らないようで、著者の所有するコレクション、著者の思い入れのある製品が納められている模様。同じようなデジタルグッズの写真集が、当時他にも2冊ほど発売されていた。オールドなデジタルガジェットの数々を眺めているだけでも楽しい。万人受けするものではないが、好きな人には面白い一冊だと思う。まだアマゾンで売ってますので、お好きな方にはお勧め。


 日本懐かし10円ゲーム大全・(新品/辰巳出版) 1,300円ほど

 こちらはもうネタとして紹介しました。駄菓子屋ゲーム博物館の館長である岸昭仁氏の著書で、エレメカなどビデオゲーム以外のオールドゲームをまとめたもの。この辰巳出版のタツミムックのシリーズでは、今では数が少なくなった全自動で調理してくれるうどん、そばの自販機本をまとめたり、オールドカセットテープや当時もののアイスクリームなどをまとめた本を出すなど、えらくマニアックな視点で攻めている。他に類を見ないという点で、貴重な一冊だと思います。


ガチ☆ボーイ【スタンダード・エディション】・(中古/ポニーキャニオン)
棒倒し・(中古/ポニーキャニオン) それぞれ1円

 どちらも体育会系の青春もの。1円というのは、アマゾンで売られている1円DVDのためで、アマゾンではDVDは送料が350円で固定なため、実質351円ということになる。メール便だと160~180円くらいだと思いますので、差額が利益ということなんですかね。ガチ☆ボーイは、大学のプロレス研究会を舞台にした学生プロレスもの。こちらは、もうすでにネタとして紹介しました。棒倒しは、高校の棒倒し競技に青春を掛ける若者を描いた2003年公開の青春映画。アイドルグループLeadの主演で、この当時ウォーターボーイズなんかの影響からか、マイナーなスポーツや競技を題材としたスポコンものが流行っていた。


 あまり一般には知られていない映画ですが、棒倒しという着眼点が面白い。主演のアイドルグループのLeadですが、非ジャニーズ系にもかかわらず、12年たった今も健在な模様。あまりちゃんと見ていないので、見たらネタとして紹介します。


東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン・(中古/株式会社バップ) 200円
 
 東京タワー~オカンとボクと、時々、オトンは、リリー・フランキーさんの体験を基にした小説を、2007年に映画化したもの。第31回日本アカデミー賞最優秀作品をはじめ、様々な賞を受賞している。主役のボクにオダギリジョーさん、オカンに樹木希林さん、若い頃のオカンに希林さんの娘の内田也哉子さんが扮している。青春ものには違いありませんが、オカンとの関係にスポットを当てた郷愁もの。


バタアシ金魚・(中古/JVCビクター) 1,000円

 バタアシ金魚は、1985年からヤングマガジン誌で連載されていた同名の漫画を原作に、90年に映画化された作品。もうネタとして、紹介しました。DVDの再販が2,980円で行われて入手しやすくなっていたのですが、再び廃盤になったのかアマゾンでの価格が急上昇してきて、なかなか手に入れ難くなってきた。1,000円という価格は、ここに紹介しているDVDの中では高めですが、これでもバタアシ金魚のDVDとしては、破格の値段。 


さんだる/たま・(中古/日本クラウン) 150円

 たまは、1990年代に活躍したロックバンド。こちらもネタとして紹介しました。このCDかなり売れたためか、以前はブックオフなどの350円コーナーなどでよく見かけたものですが、最近ではほとんど見なくなりました。置いてあったとしても、もう普通の中古CDの値段だったりします。オークションだと、まだわりと出回っていて500円~くらいから良く見かけます。


ダイハード・(中古/21世紀フォックスホームエンターテイメントジャパン) 300円

 ダイハードは、1988年のアメリカ映画。ブルースウィルスを一挙にハリウッドスターのトップクラスに押し上げた作品であるとともに、現在までシリーズが続いているという、息の長いシリーズの第一作目になります。もはや名作の域を超えて、アクションの古典に近づいたといってもよいのではないでしょうか。続編はともかくとして、この第1作目はまちがいなく名作といってよいと思います。70年代にはやったビル火災を描いたパニック映画タワーリングインフェルノに、82年に公開されたランボーの一作目の一人だけの軍隊というコンセプトを足したような映画。80年代的なのは、災難が天災ではなくテロリストとの戦いだという点と、舞台となったのが日系の商社だという点。


ベストモータリング2010年7月号
土屋圭一のドリフトテクニック入門・(中古/2&4モータリング社) それぞれ100円
 
 ベルトモータリングは、通称ベスモとも呼ばれるビデオマガジン。講談社系の2&4モータリング社より、2011年6月号まで毎月発売されていた。2010年7月号は、CR-Xの再来とも言われこの頃に話題となっていたホンダのエコスポーツCR-Zの特集。この辺りでも、スポーツカーやMT車が減って、ネタに苦戦しているのが伺えます。すでに4年前に廃刊となったこのシリーズですが、ブックオフ等に100円で置いてあれば十分まだ楽しめます。


 もうひとつは、ベスモの増刊みたいな位置付けの土屋圭一のドリフトテクニック入門。1991年にVHSで発売されたベストモータリングスペシャルをDVDで再販したもの。この当時、人気最高潮だった土屋圭一氏が、GT-Rやトヨタの86を使ってドリフトテクニックの解説をしている。この頃は、まだまだスポーツカーの人気が高く、中古でも豊富に安いスポーツカーが手に入った。現在でも根強い人気があるイニシャルDなどは、こんな世相の中から生まれてきたのだと思います。少子化が進んでエコカーばかりの時代となり、もうこのような時代が再び来ることもないのでしょうね。

オレのRPGノート・株式会社ウィズ

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 これは、2014年に株式会社ウィズより発売されたオレのRPGノート。ジャンルは難しいところですが、ゲームブックの新作ということで良いと思います。


 コンセプトは、授業中や勉強中にノートに落書きした、俺の考えたロールプレイングゲーム、あるいは俺の考えたゲームブックを再現したもの。学習ノートの体裁を取ったB4サイズ90ページの本に、前半50ページにはゲームブックが、後半40ページは普通の罫線の入った白紙のノートが収められています。株式会社ウィズは、たまごっちやデジモンの開発元で、自社オリジナルの雑貨や貯金箱なども開発しているみたいです。


 80年~90年代辺りにゲームブックやロールプレイングゲームに親しんだ層には、誰しも自分お手製のロールプレイングやゲームブックを、夢想した経験があるんじゃないでしょうか。その狭い隙間のストライクゾーンに投げ込まれた、アイデア勝負の一種のお洒落雑貨(文具)という感じでしょうか。ほとんどアイデアだけで成り立っているような商品であり、この着眼点は凄いと思います。

 
 帯を外すとこんな感じ。ジャポニカやコクヨのノートブックのような体裁を取っています。名前欄には、職業のほか、レベル、HP、MP記入欄も。レジェンドオブシャイニングイージスサーガという、壮大で頭の悪そうなサブタイトルもいかにもな感じ。いきなりエピソードⅣとかなってるし。


 ゲームブックだと記録用紙にあたるキャラクターシートも付いている。しかもカラー。アイテムはシールになっており、アイテムや情報を入手した後で、キャラクター用紙に貼り付ける形になっている。洒落たアイデア雑貨(文具)の側面もあるため、実際に貼り付ける人や書き込む人は少ないかと思いますが。


 前半のゲームブック部分は、ノートの落書き風。項目こそ少ないですが、パズルやクイズなども仕込んであって、意外と本格的なつくりになっている。ゲームブックではお約束の余白に印刷されたサイコロも再現。芸が細かいですな。


 このRPGノートと連動してスペシャルアプリも無料配信されている。このアプリを使うことで、よりRPGノートの世界が堪能できるという仕掛け。このグッズのすばらしいところは、価格がリーズナブルなこと。これだけやってあって555円ほど。発売当初は、アマゾンでもあっという間に品切れで、通販でも軒並み売り切れとなり手に入りにくかった模様。あまり販売されている場所も多くなく、入手がし難いのが難点のようです。現時点では、アマゾンでも販売されており価格も300円+送料ほどで売っています。


 人により世代によって、このようなノートの落書きの形は様々だと思います。個人的には、自作のゲームブックを教科書の隅に書いた記憶が残っています。後は、1万円を切る価格で売られていたカシオの格安ポケコンPB-100Fで、キャラクターに割ける容量がないので、数値のみで自作のRPGを作っていた記憶も。こういうことをやっていると、勉強時間や学校の授業もあっという間で、全然苦にならなかったように記憶しています。


 ゲームブックは、2000年代に創土社や扶桑社が昔の版を復刻して以降は動きが無く、とっくに終わったと思っていたのですが、調べてみると意外と動きがあります。このオレのRPGノートもそのひとつですが、ウェブ上で人気の脱出ゲームを体験型+ゲームブックの形式にした脱出ゲームブックというものや、漫画や雑誌などでもちょこちょこと活用されているようです。考えてみるとフリーの脱出ゲームなどは選択肢を選ばせて物語を進める形式を取っており、ウェブ上でも簡単に再現しやすいことから、ネットとの相性は良いのかもしれませんね。



参考:株式会社ウィズHP、サンケイアプリスタ エンタメ記事、パラグラフの狭間で

幸せの教室 LARRYY CROWNE・ウォルトディズニージャパン

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 幸せの教室 Larry Crowneは、2011年に公開されたトム・ハンクスとジュリア・ロバーツ主演のコメディ映画。


 主演だけではなく、共同製作、共同脚本、監督までもトム・ハンクスが務めたという、トム・ハンクスが長年企画を温めていて撮りたかった作品ということになる。彼が監督を務めた作品としては、1996年のすべてをあなたにに続いて15年ぶり2作目にあたる。物語は、善良で常に前向きな中年男ラリー・クラウン(トム・ハンクス)は、長年務めてきて優良社員として何度も表彰されていたショッピングモールを、学歴が足りないからという理由でリストラされてしまう。妻との離婚、家のローンなど色々な問題を抱える彼は、再就職のための学歴を得るためにコミュニティーカレッジに通うことにする。そこには、教えることに意欲をなくしたやる気のない教師メルセデス(ジュリア・ロバーツ)がいた・・・。


 幸せの教室という邦題からも分かる通り、中年からのやり直し、学び直し、中年からの青春映画という趣の作品。背景としては、金融バブルの崩壊により、リストラや失業、自宅を手放すといった現象が起きた、2007年頃からのアメリカのサブプライムローンがある。そのため、物語冒頭のスーパーをリストラさせられるくだりは、妙なリアリティがあり、住宅ローンを払えなくなった彼は、何件もの求人の電話をしては断られ、銀行からは冷たくあしらわれてしまう。ただし、深刻なのは冒頭の10分程度で、学歴を得るためにコミュニティカレッジに入学すると決めてからは、どんどんと物語が展開していくようになる。コミュニティカレッジでは、就職に有利だからと経済学とスピーチの授業を進められ受講することにする。ガソリンが無駄だからと車を手放した彼は、ヤマハ製の中古のスクーターで通学をし、若い同級生の女の子に誘われて、若者のスクーターギャングの仲間らと一緒に走り回ったりするようになる。


 メルセデス(ジュリア・ロバーツ)が担当しているのは、このスピーチの授業。小説を書くと言って働かないひものような旦那を抱え、教えることへの意欲も失っている。ラリー・クラウンと関わっていくなかで、次第に彼女の方にも変化が訪れて・・・という展開。ちなみに経済学のエド・マツタニ教授は、スタートレックの機関士ジョージ・タケイが演じており、スタートレックネタも散りばめられている。


 物語冒頭は、アメリカの深刻な社会問題を背景として始まっているのだが、物語の舞台の設定であるロサンゼルス近郊の街中をスクーターで走り回るシーンは、ほとんどローマの休日のノリ。妻との離婚により家族を手放し、ガソリンを大量に喰う大型のSUV車を手放し、中古のスクーターに乗り換え、ローンの抵当のために家を手放すことで、ラリーはどんどん身軽になっていく。同時に表情もどんどんと明るくなり、幸せ、幸福というのは、どんな状況にあっても見つかるということが、トム・ハンクスが描きたかったことのように思える。2度のオスカーを受賞し、全米でも最も成功したハリウッドスターの一人であるトム・ハンクスが、自ら撮りたかったのが、このような小さな幸せについての映画だったというのは、ちょっと面白い。


 ジュリア・ロバーツは、物語の冒頭ではギスギスした感じで登場して、老けたなと感じさせるのだが、物語が進むにつれて生き生きとしてゆき、物語後半では全盛期を思わせる表情を見せるようになる。メイクで変化していく様子を見せているんですね。


 冒頭でラリー・クラウンがスーパーをリストラされるのは、学歴が足りないから。大卒でないという理由で解雇できてしまうのは、解雇の規制が緩やかな欧米ならでは。ただし、ラリーが通うことになるコミュニティカレッジは、入学試験もほとんどなく、誰でも、どんな年齢からも入学が出来て、短大卒の資格を取れるという2年制の公的機関。そこから大学に編入して、学士の称号も取れる。解雇もされやすいけれど、学び直しもしやすい環境がセーフティネットのひとつとしてあるわけです。映画では、経済学とスピーチという2コマしか取っていないため、2年では卒業できないだろうし、1年目で物語が終わるためラリーが再就職できたかどうかも描かれない。車も手放したままで、住処もアパートとなり、学び直しをすることですべてを取り戻したという展開になっていない。ディズニー映画なので大人のおとぎ話とでもいうべき話なのだけど、アメリカ映画的なハッピーエンドとはしないことで、リアリティを保っている。


 日本には、コミュニティカレッジに該当する機関はない。けれど少子化の影響で、難関大学以外であれば社会人入試などで、誰にでも再度学び直しをする門戸は開かれている。試験のない専門学校ならなおさら。そこまで本格的ではなくとも、夜間の学校、通信過程という手段もあるし、生涯教育ということで公開講座なんかも多くの学校で開かれている。さらには職業訓練校や各種のカルチャー教室もある。大作映画ではないし、制作費のほとんどトム・ハンクスとジュリア・ロバーツの出演料なんじゃないかと思える小さな作品ですが、こういう方向性もあるのだと気付かせてくれる意味で、良い映画だとお思います。個人的な評価は、星★★★+☆(70点)。

参考:Wiki 幸せの教室、トム・ハンクス、ジュリア・ロバーツ、コミュニティカレッジの項

散財日記 in マテル インテリビジョン Intellivision(インテレビジョン)

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 ということで、前回予告していた大物の紹介。このような感じで、80サイズの段ボール箱がどかっと届きました。


マテル インテリビジョン Intellivision・(中古/マテル社) 3,000円

 マテル インテリビジョン Intellivisionは、米国マテル社が1980年に発売したテレビゲーム機。日本では、1982年にバンダイよりインテレビジョンとして販売された。当時の日本での価格は、49,800円という破格なもの。今でこそプレイステーション4とか、家電やAV機器の感覚で高額のゲーム機が受け入れられる土壌がありますが、この時期だと子供の玩具にしかならないものに、こんな金額を払うとは、夢また夢のような感覚だった。ちなみに当時の価格は、299ドル現在の日本円に換算して3万6千円ほど。ごっちゃになりやすいのが、この翌年には、同じバンダイからアルカディアというゲーム機が発売されていること。こちらは、インテレビジョンがあまりに高額で売れなかったことを反省してか19,800円という価格で売られていた。もっともファミコリーコンピュータの登場と時期が重なったため、9,800円という価格にまで下げられてしまった。さらには、コレコビジョンというゲーム機まであって余計混乱する。今、これらのゲーム機に触れてみたい方にはこんなものが存在する。


 1980年製ということもあってAtari2600とファミリーコンピュータの間を繋ぐような性能。トミーのホビーパソコン、ぴゅう太と同じく16ビットだった。日本では、一年で販売が打ち切られてしまった関係でマイナーなゲーム機だが、本国アメリカでは1991年頃まで売られていたんだとか。カセットビジョンと同時代機が、メガドライブ、PC-エンジン、スーパーファミコンの時代まで生きながらえてるというのは、考えがたいですな。シューティング、アクション、スポーツ、テーブルなどの定番だけでなく、ダンジョン&ドラゴンズのシステムを採用したRPGまで揃っている。


 インテリビジョンの最大の外見上の特徴は、この電話機みたいなコントローラー。アルカディアでも似た形を採用していた。様々なソフトに対応できるように、この時期なりに拡張性を最大限に考えた結果だと思う。


 スイッチとリセットボタンと、本体はかなりシンプル。本体横は、Atari2600と同じく木目調のプラスチックが貼ってあって、高級機であることをアピールしている。


 ソフトも付いてきた。自動車レースものオートレース。


 テーブルゲームものポーカー&ブラックジャック。


 定番の野球ものメジャーリーグベースボール。


 飛行機と戦車、自動車の3つのアクションが楽しめるトリプルアクション。


 インテリビジョン最大の特徴は、ソフトにコントローラーに被せるオーバーレイが付いているところ。プラスチック製のカードみたいな物が付いています。


 コントローラーに差し込んで、0~9まである10個のボタンのうち対応するものを使用するという仕組み。ファミコンのコスト的にも操作的にもシンプルで優れた十字キーに淘汰されてしまいましたが、アイデアとしては面白いと思う。


 ポーカー&ブラックジャックに付いているオーバーレイ。


 ロムカセットの形もなんだか独特なもの。


 ベースボールのオーバーレイ。それぞれの守備位置に対応したボタン配置となっている。これは視覚的にもわかりやすい。


 最初に大物と書きましたが、価格としては3,000円だった。インテレビジョンは、高価で発売年数が限られていたわりには、オークションで出回っていて、常に1~2台は市場に出てきている感じ。高価すぎて展示品として売れ残ったまま玩具店の倉庫に眠っていたり、買った人もこれほど高価な玩具はなかなか捨てられないでしょうから、数が残っているのでしょう。相場は、程度や箱説付き、ソフト付きなどで様々で、あってないようなものだが8,000円~箱説、ソフト付き美品で20,000円くらいといったところでしょうか。この価格は、十分に掘り出し物の部類だと思います。同時代のぴゅう太やMAXマシーンなども根強い人気があって、10,000円以下ではなかなか買えないと思います。また、詳しく調べてネタとして紹介します。


俺のRPGノート・(新品/株式会社WIZ) 300円+送料

 こちらは、もうすでに紹介しました。たまごっちやポケモンなどの開発元の株式会社ウィズのオリジナル商品。アイデア雑貨や文具の一種だと思います。ファミコン世代でRPGがブームだった頃を知る人には、多かれ少なかれ似たような思い出が共有できるはずで、そこを付いた商品です。


 俺だけのオリジナルRPGとかを、ノートの片隅に書かずとも、夢想した経験のある人は多いんじゃないでしょうか。ポリゴンを使ったどこまでも歩ける広大な世界とか、他のプレイヤーも参加した多人数のパーティプレイだとか、あの頃の夢想したものが、今では現実の物となっていることが凄い。


 今遊んで、面白いかどうかというと別ですが、個人的にはすごくすぐられました。同じような思い出を持つ方にはお勧め。


幸せの教室・(中古/ウォルトディズニージャパン) 430円

 こちらもすでに紹介済み。個人的には、トム・ハンクスの映画は、若い頃に出世作となったコメディ映画Bigしか見たことがない。ヒューマンとかハート・フルコメディだとか、それほど興味のあるジャンルの映画に出演する俳優さんではなかった。ジュリア・ロバーツは、1にも2にもリチャード・ギアと共演した出世作プリティウーマンのイメージ。なぜ、この映画が見たいと思ったかというと、やはりその設定とトム・ハンクス自らが撮りたかった作品だったということ。


 ネット上にあるこの映画のレビューを見ると、飛行機の国際線の機内で流れていたとか、そういった出会いが多い。4、5日前にはBSでも放送されていたので、ごらんになった方も多いのでは。そのような場で、期待しすぎず、肩肘張らずになんとなく見たら案外良かった、というような感じがこの作品との幸運な出会い方だと思う。大作でもヒット作でもなく凄くいい作品というほどでもないのだけれど、なんとなくほんのりと残る良い作品というような感じだろうか。

ボードゲーム 対戦型テトリス・トミー(現タカラトミー)

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 こちらは、1990年にトミー(現タカラトミー)より発売された、対戦型テトリス。世界的なヒットを飛ばしたテトリスの電源不要のボードゲーム版になります。


 テトリス(Тетрис)は、旧ソビエトの科学者アレクセイ・パジトノフによって1984年に開発されたパズルゲーム。日本では、1988年にアーケードゲームとしてセガから発売された。翌98年には、ゲームボーイ発売と同時に任天堂より発売され、その普及に一役買った。いわゆる落ち物と呼ばれるパズルゲームの原型ともなった。ファミコンを始めとする様々なゲーム機に移植され、90年代中ごろには液晶を使ったミニゲームとしても再ブームが起こった。96年には、あのザ・ブラックオニキスを作ったBPSのヘンク・ブラウアー・ロジャースによりザ・テトリスカンパニーが設立され、テトリスの基本と成るガイドラインの作成や版権、ライセンスの管理が行われるようになった。


 ということで、一般的にも知らない人はいないだろうというくらい有名なゲームです。そのテトリスを手動で遊んでしまおうという変り種の玩具。ネット上にもほとんど情報が無く、あまり知られていない一品だと思います。


 遊び方はパッケージに記載されている。ボードの真ん中に移動可能なテトリスカーソル(中央線)を設け、ブロックを並べても自動では消えないので、ラインがいくつ完成したかをピンでチェックする。完成したラインの数に応じて、テトリスカーソル(中央線)を相手や自分の方に移動させるという仕組み。


 内容物。ボードとブロック。ボード上に見える黒い線がテトリスカーソル(中央のライン)。


 96年以降は、テトリスカンパニーによりテトリスの仕様(ルール)が統一されたそうですが、こちらはそれ以前の玩具。


 リアルピクセルとでもいうような感じの立体化されたテトリスブロック。


 交互にルーレットを押し、その出目によってブロックが決定される。


 イメージとしては、こんな感じで手動でブロックを並べていきます。あのロシア民謡のようなBGMは、脳内で。


 箱の中に1990年の新聞の切り抜き記事が入っていた。この玩具は、目の不自由は子供たちも遊べる盲導犬マークの付いた、共有玩具の試みの第一号として開発された。確かに、ブロックは立体化され触れるようになったことで形が認識できるようになる。ルーレットにも点字のように、触って識別できるよう凸凹が付けられている。トミーの始めたこの共有玩具の試みは、玩具業界全体の取り組みとなって、ユニバーサルデザイン(障がい・能力の如何を問わずに誰でも利用することができる施設・製品のこと)を取り入れた玩具の開発として、今日に至っている。この共有玩具第一号となったテトリスは、売れたそうですが障がいのある方や施設が中心のため市場規模が小さく利益は出なかったそう。トミーは、社会貢献の取り組みのひとつとして続けた。


 この新聞の切り抜きを入れた元の持ち主は、施設の方だったのか障がいをもつ子供の親だったのかは分かりません。ただテトリスは、当時任天堂とセガが自社のゲーム機で出すために、版権の取り合いをして裁判にもなったほどで社会現象にもなった人気ゲームだったので、そのように流行しているゲームで遊ばせてあげたい、触れさせてあげたいという親心を感じます。


 僕らは、当たり前のようにゲームをして大人になってきましたが、あらためて考えてみると目が不自由だとほとんどのゲームが遊ぶことが出来ないんですね。ゲームや玩具の世界でも、ユニバーサルデザインの考え方がより一般的になっていくことを望みます。


 ちなみにこの立体版テトリスというアイデア、Tetris Linkとして2012年にも海外の会社より発売されています。それに先駆けること、実に20年というこのトミー製対戦型テトリス。キャラクターに頼らずアイデア勝負の製品を多く出している、実にトミーらしい玩具だと思います。


 カラフルなブロックがお洒落。

参考:Wiki テトリス、ザ・テトリスカンパニーの項、玩具のユニバーサルデザイン 共有玩具/タカラトミー、ナリナリドットコム

マイライフ・アズ・ア・ドッグ・株式会社アイ・ヴィー・シー/CBSソニー

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 マイライフ・アズ・ア・ドッグ(Mitt liv som hund/My Life as a Dog)は、1985年に製作されたスウェーデン映画。日本では、1988年に公開された。


 ジョニー・デップ、レオナルド・デカプリオが共演し話題となったギルバート・グレイプ、ジョニー・デップ主演のショコラ、リチャード・ギア主演で日本のハチ公物語をリメイクしたHACHI 約束の犬などを手がけたラッセ・ハルストレム監督の出世作。スウェーデン映画という、日本ではあまり公開されない国の映画だが、大手の映画会社の製作、配給ではなかったにもかかわらずヒットした。いくつもの賞を受賞するなど、世界的にも高い評価を得ている。


 タイトルにもなっているマイライフ・アズ・ア・ドッグとは、実験のため1957年にソ連の宇宙船スプートニカ2号に乗せられたライカ犬のことを思いながら、「人工衛星に乗せられて死んでいったライカ犬より、僕の人生のほうがまだ幸せだ」と考えて、人生の辛い時期を乗り越えようとしている少年の気持ちを表している。


 物語は、1950年代のスウェーデンの何もない寒村が舞台となっている。主人公イングマルの父親は遠くに出稼ぎに行ったっきり音信不通であり、母親は病で床に臥せっている。他に家族は兄と、愛犬シッカンがいるのだが、母親の病気が重くなってきたため、イングマルは田舎に住む叔父の元へ預けられることになる。叔父のところは、ガラス工場ぐらいしか産業のない、海沿いの田舎の小さな寒村。そこで出会う個性豊かな人々との暮らしが、ゆっくりとイングマルを癒し、変えてゆくことになる。


 ということで、母親の病気が原因で親元から離れて田舎で暮らす少年の話。村の住人には、延々と屋根の修理を続ける人がいたり、ケーブルを使った宇宙船のような乗り物を作る人がいたり、ヌードモデルばかりを描く画家がいたりと、かなり個性豊かで悪く言えば変人みたいな人が多い。ハリウッド映画ではないため、明確なストーリーや感動を呼ぶクライマックスなどはなく、様々な人々の個々のエピソードが、脈絡も無く積み重なって物語が展開していく。少年のようなガキ大将サラという少女がヒロインであり、子供から思春期の入り口への成長を描くエピソードが挿入されて、それが物語の柱となっているが、基本的にはどこまでいっても何も起こらない村の日常が淡々と描かれていく。ひと言でいうと、虫プロが製作した第一期のアニメ版ムーミンのムーミン谷のような世界でのお話。


 イングマルと愛犬シッカン。どこかに預けられていると思い込んでいたが、母親の元を離れるときに一緒に処分されてしまっていたことが後から判明する。ちなみに主人公のイングマルという名前には、50年代当時スウェーデンの国民的英雄であるボクサーのイングマル・ヨハンスンと同名であるという意味がこめられていて、映画のラストシーンはその英雄の試合の中継をラジオで聞きながらサラと一緒に眠るイングマルというようになっていますので、あちらの人でなければ理解できない要素も含まれているのかもしれません。


 こちらは、当時もののVHS版。この映画が公開された頃はちょっとお洒落なミニシアターがブームとなり始めた頃で、ニュー・シネマ・パラダイスだとか、ベルリン天使の詩、ライフ・イズ・ビューティフルのような、ハリウッド製ではない欧州系の映画が話題になり始めていた。これらの映画は、ちょっと知的な感じだったり、ちょっとお洒落な感じで、地味だが根強い人気を誇っていた。個人的には、この当時通っていた学校の近くにミニシアターがあって、わざわざ調べなくともちょっとよってどんな映画が上映されているのか知ることが出来る環境にあった。1,000円くらいと映画料金も安かったため、週末の午後などにふらっと立ち寄って見ることができた。最近だと、ミニシアターも減少傾向にあるみたいで、複合施設や大型のショッピングセンターに併設されたシネマコンプレックスに代表されるような大型の映画館が多くなり、これらは同時上映なし一本立て、入れ替え制のところが多いようで、気軽に映画を見に行けるという環境ではなくなってしまった。


 昔は、一般の映画館でも2本立て、3本立てで入れ替えなしが当たり前で、夜終電がなくなった後だとか、バイクで遠方までツーリングに出かけたときなど、オールナイトの映画館で朝まで過ごしたりできて、ちょっと気軽に入れるというように映画館の敷居が低かったように思います。今では劇場公開されて半年もしないうちにDVDが出るような時代ですから、シネマコンプレックスの近代的で豪華な設備の維持のためには仕方ないんでしょうが、なんだか味気ないという気もします。


 ということで、ミニシアター系の名作と言われる超有名な作品、マイライフ・アズ・ア・ドッグ(Mitt liv som hund/My Life as a Dog)でした。個人的評価は、星★★★★。ムーミン谷で癒されてみたい人にお勧め。



参考:Wiki マイライフ・アズ・ア・ドッグ、ラッセ・ハルストレム、ライカ(犬)、ミニシアター、映画館、シネマコンプレックスの項
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